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ローマ美術紀行
サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会
La chiesa di Sant'Andrea al Quirinale 2015/1/2
ベルニーニの最後の作品があると聞いていたので、訪ねてみました。 訪問日: ’15/1/2
サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会 Sant'Andrea al Quirinaleはローマに建設された3番目のイエズス会教会です。カミッロ・パンフィーリ枢機卿が叔父の教皇アレクサンドル7世に委託され、ローマの盛期バロックを代表する建築家 G.ベルニーニの設計した教会。 1658年から着工,完成は 70年。 F.ボロミーニのサン・カルロ・アレ・クァトロ・フォンターネ聖堂とは対照的に平面に楕円を横使いし,バロックの特徴を示しながらも,ボロミーニの激しい動きを示す空間に対し,古典的な沈静に包まれた空間をつくりだしている。彫刻もベルニーニが担当。彼の作品のなかでも完成度の高いもので,一切が彼の手に成る。
出典:Wikipedia、ブリタニカ国際大百科事典
サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会正面玄関
◆クィリナーレ教会見取り図
1.正面玄関
2.聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂
3.キリスト受難礼拝堂
4.聖スタニスラス・コストカ礼拝堂
5.ロヨラの聖イグナチオ礼拝堂
6.主祭壇
7.聖スタニスラス・コストカの部屋への入り口
8:入口
出典:Sant'Andrea al Quirinale - Wikipedia
フロアマップ
Sant'Andrea al Quirinale - Wikipediaより
◆教会内部
クーポラ(ドーム)
主祭壇左上部
主祭壇上部
主祭壇右上部
フロアマップ-8(入口)
フロアマップ-5,-4
主祭壇(フロアマップ-6)
フロアマップ-7,-3,-2
内部も ベルニーニ設計ですが、ベルニーニの熟練した弟子たち(マッティア・デ・ロッシ、アントニオ・ラッジ、ステファノ・カステッリ,およびその他多数)によって製作されたもの。
出典:サイト”romeartlover.tripod.”
◆主祭壇(フロアマップ-6)L'altare maggiore
主祭壇
ギヨーム・クルトワ”聖アンドレアの殉教”(1668年)
Martirio di Sant'Andrea (1668) di Guillaume Courtois
アンデレは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。シモン・ペトロの兄弟であるとされている。英語ではアンドルー(Andrew)、フランス語ではアンドレ (André)、イタリア語ではアンドレア (Andrea)『マルコによる福音書』によると、兄弟ペトロと共にガリラヤ湖で漁をしていたときに初めにイエスに声をかけられ、弟子となった[1]。弟子のリストの中でもペトロ、ヤコブ、ヨハネについで4番目にあげられている。出典:アンデレ - Wikipedia
ギヨーム・クルトワGuillaume Courtois(1628 – 1679年)は、伊語読みならグリエルモ・コルテーゼ、ブルゴーニュ人の意味のボルゴニョーネIl Borgognoneとも呼ばれた。彼はフラン・コントワ・イタリアの画家、製図工、エッチング職人でした。主にローマで歴史画や点景物の画家として活躍し、高い支持を得ました。ギヨーム・クルトワは、無名の画家ジャン=ピエール・クルトワの息子として、現在のフランスのサン・ティッポリット(ブルゴーニュ県) で生まれた。ギョームの若い頃についてはほとんど知られていませんが、彼は父親から最初の訓練を受けたと考えられている。ギヨームがまだ子供だった1636年頃、父親とギヨームはイタリアに来て、1638年までにローマに移り住み、そこでピエトロ・ダ・コルトーナの工房に入った可能性がある。出典:Guillaume Courtois - Wikipedia
・スタッコ(漆喰):ジャン・レグノー”ケルブ(翼が生えた子供・天使)の王冠 ”
・金メッキ:ヴィンチェンツォ・コラーロ Vincenzo Corallo
出典:ウエーブサイト”ローマペディディア ROMAPEDIA”、ウエーブサイト”ローマ ガイド - ローマのガイド付きツアーRome Guides-Visite Guidate a Roma” など
主祭壇の後陣のヴォールト (半円筒形天井) 詳細
ジャン・レグノーJean Regnaud”ケルブ(翼が生えた子供・天使)の王冠 ” スタッコ(漆喰)
ベルニーニの設計、”2人の天使によるカミッロ・パンフィリーを賛美する巻物”の漆喰(スタッコ):ジャン・レグノー製作
出典:サイト”ローマペディディア”ROMAPEDIA”
ジャン・レグノーJean Regnaud ”2人の天使によるカミッロ・パンフィリーを賛美する巻物”の漆喰(スタッコ)1670年
ジャン・レグノー Jean Regnaud
ベルニーニの弟子で、17 世紀後半に活躍にしたる彫刻家。モンス・ジョヴァンニ・リナルディmonsù Giovanni Rinaldi,又はフランスのシャンパーニュ地方出身であるため,ジョヴァンニ・ディ・シャンパーニャGiovanni di Sciampagnaとも呼ばれている。 出典:サイト”ローマペディディア”ROMAPEDIA”
◆ドーム La cupola
この教会の見どころである聖アンドリューはベルニーニの設計ですが、アントニオ・ラッジ(1624/86)の製作のようです。出典:Sant'Andrea al Quirinale - Wikipedia、サイトChiesa di Sant'Andrea al Quirinale ”ROMAPEDIA”、他
クーポラ(丸天井、ドーム)
La cupola
アントニオ・ラッジ、ピエトロ・サッシなどによって装飾されたドームの内部
Interior of the dome decorated by Antonio Raggi, Pietro Sassi and others
サンタンドレア・アル・クイリナーレのランタン
The Lantern at Sant’Andrea al Quirinale
雲の上で空に昇る聖アンドリュー,アントニオ・ラッジ作品
Saint Andrew ascending to the sky on a cloud, by Antonio Raggi
主祭壇の上部には前述アントニオ・ラッジ作の聖アンドレアの大理石像が飾られていて、雲に乗り両手を広げてドームの頂点を見つめるポーズは、天使たち(これもラッジ作)に導かれて天に昇る姿を描いたものです。出典:出典:ウェーブサイト”ローマの教会・美術館巡りリポート”より
スタッコ:建築の内壁仕上げに用いる化粧漆喰(しっくい)。ストゥッコともいう。消石灰を主原料とし,補強のために粘土粉,大理石粉,砂,顔料などを混ぜ練ったもの。加工しやすく,乾くと硬化する。壁や天井を飾る塑像や浮彫の材料としても多く使われた。オリエントでは古くから使用され,ヨーロッパではルネサンス期から盛んに用いられるようになった。出典:株式会社平凡社百科事典マイペディア
クーポラ(ドーム)内スタッコ装飾詳細
クーポラ(ドーム)内スタッコ装飾詳細
アントニオ・ラッジAntonio Raggi(1624〜1686年)はアントニオ・ロンバルドAntonio Lombardo とも呼ばれ、現在のスイス・ティチーノ州出身のローマ・バロックの彫刻家。イタリア北部・ロンバルディア地方ルガーノ湖のヴィーコ・モルコートで生れた。当初、アレッサンドロ アルガルディ Alessandro Algardi(1598 – 1654)の工房に参加、その後、ローマでジャンロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)の弟子を30年近く務めた。ベルニーニは、ほとんどの場合、詳細なデザインをラッジに提供し、ベルニーニの監視下で製作した。1657年にはアカデミア・サンルカに選任。1686年 ローマで死去。
主な作品として
・ナヴォーナ広場(ローマ)の「四大河の噴水」のドナウ川の像(1650-51年) 注1)
・クイリナーレ教会(ローマ)” 聖アンドリューのスタッコ装飾(1662-65年)
・サンタンジェロ橋の”受難の聖遺物を運ぶ10人の天使のうちの1人(柱を持つ天使)”1670年頃
・ジェズ教会 (ローマ)ジョヴァンニ バッティスタ ガウッリGiovanni Battista Gaulli の天井のフレスコ画に伴う幻想的なスタッコ装飾(1674年) 注2)
などが知られている。
出典:Antonio Raggi - Wikipedia など
注1)ナヴォーナ広場(ローマ)の「四大河の噴水」ほぼ中央の像が【ドナウ川の擬人像】・・・’15/01/02撮影
注2)ジェズ教会 (ローマ)ジョヴァンニ バッティスタ ガウッリGiovanni Battista Gaulli の天井のフレスコ画に伴う幻想的なスタッコ装飾・・・’15/01/01撮影
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