ファルネジーナ荘 (Villa Farnesina) その2  

【2階】

ファルネジーナ荘の2階には  ”遠近法の間”  と  ”アレクサンドロス大王とロクサネの結婚の間”  がある。

【 遠近法の間 Sala delle Prospettive:】

 2階にあるこの広間の名前は1519年にバルダッサーレ・ペルッツィによって壁に描かれた遠近法による円柱とその向こうに見える町並みの風景(16世紀当時のローマ市街地)です。つまり、だまし絵。各天井の下には帯状装飾と神話のシーンがあります。これもペルッツィとその工房によるもので、北側の壁には大きな暖炉が浮き出ています。  出典:ヴィッラ・ファルネジーナ公式ホームページ 

”遠近法の間”西側
”遠近法の間”北側

​ユーノ GiunoneとミネルバMinerva

眺望が見える大広間の暖炉

​ディアナDiana

火と鍛冶(かじ)の神ウルカヌスの鍛冶工場
”遠近法の間”東側
”遠近法の間”南側
”遠近法の間”南側 詳細

​窓の上。左:ユピテル Giove (天の神、ギリシャ神話のゼウスに当たる)、

窓の上。右:ネプチューン [ロ神]ネプトゥヌス(海の神;[ギ神]のポセイドンに当たる)英語読みネプチューン)

【ア レ キ サ ンダー大王とロクサネの結婚の間 

      Stanza delle Nozze di Alessandro Magno e Rossane】

 ”ア レ キ サ ンダー大王とロクサネの結婚の間” と名付けられたのは北側のフレスコ画のタイトルから来ている。この部屋はアゴスティーノ・キージの寝室でした。1519年の結婚(ヴェネツィアの貧しい商人の娘フランチェスカ・オルデアスキ)の前にキージが画家ソドマ(ジョバンニ・アントニオ・バッツィ)に依頼したもので、アレキサンダー大王にまつわるフレスコ画が四点ある。

 出典:ヴィッラ・ファルネジーナ公式ホームページ

ソドマ「駿馬ブケパラスを馴らす少年アレクサンドロス」

ソドマ「アレクサンドロス大王とロクサネの結婚」
Le nozze di Alessandro Magno e Rossane

ソドマ「駿馬ブケパラスを馴らす少年アレクサンドロス」

私は今一と感じた。中途半端なマンガみたい。

ソドマ「アレクサンドロス大王とロクサネの結婚」
Le nozze di Alessandro Magno e Rossane

”ア レ キ サ ンダー大王とロクサネの結婚の間”の中では最も好いものではないか思う。

アレクサンドロス[大王]【アレクサンドロス】:マケドニア王国国王(在位前336年―前323年)。フィリッポス2世の子。アレクサンドロス3世とも呼ばれる。少年期にアリストテレスに師事。父の没後コリントス同盟下のギリシアの反乱を鎮圧,前334年ペルシア(ペルシア帝国)征討のため小アジアに渡る。グラニコス,イッソスで戦勝,ティルス,ガザを攻略,エジプトに入りアレクサンドリアを建設した。前331年ガウガメラの戦でペルシア軍に完勝,王都ペルセポリスに入りペルシア征討の目的を達する。以後東征軍を再編成,パルティア,バクトリア,ソグディアナ,インド北西部パンジャブ地方にまで遠征。前324年スサに凱旋(がいせん)。東西人種融合策をとり,ペルシア人も文武官職に採用,自らは東方的絶対君主として神格化を要求。アレクサンドリアと命名した多数の都市を建設して東西交通・経済の発展,文化融合に寄与,ギリシア語を共通語とするなどヘレニズム文化の基礎を置く。戦いでは敗れたことがなく、歴史上において最も成功した軍事指揮官であると広く考えられている。アラビア周航の準備中に病没(33歳)。出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア

アレクサンドロス大王は征服したバクトリア地方の有力者オクシュアルテスの娘ロクサネ(16歳)を妃にした。ロクサネは後に、アレクサンドロス大王の子アレクサンドロス4世を産む。出典:サイト”アレクサンドロス大王の生涯をダイジェスト - NAVER まとめ”

ソドマ「アレクサンドロスに嘆願するペルシア王ダレイオスの母」
ソドマ「イッソスの戦い」Battaglia di Issus
​上段:ソドマ「アレクサンドロスに嘆願するペルシア王ダレイオスの母」
下段:ソドマ「鍛冶屋の神・火の神ウルカヌス」 Vulcano alla forgia, Sodoma

​まあまあの作品と感じた。とくにウルカヌスの描き方は好いのでは。

アレクサンドロス[大王]の逸話。ダレイオス3世の母と妃がイッソスの戦いの後で捕えられたが、アレクサンドロスは彼女らに非常に敬意を払って接した。のちにそれを伝え聞いたダレイオス3世はアレクサンドロスの度量を賞賛し、もし自分が不幸にして王国を失うとしたら、アレクサンドロスこそが新たな王となるように神に祈ったという。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鍛冶屋の神・火の神ウルカヌスギリシア神話のヘファイストスと同一視された古代イタリアの火の神。元来は,家の中央でかまどの火として祀られたウェスタに対し,火事や噴火の原因ともなる猛火を神格化した存在で,市の城壁の外で祀られ,外敵や悪霊などの侵入から市を守る働きをすると信じられた。ウルカヌスの英語名バルカン(Vulcan)。出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ソドマ「イッソスの戦い」Battaglia di Issus

これも、私の好みでない。

イッソスの戦い;前 333年,マケドニアのアレクサンドロス3世 (大王) とアケメネス朝ペルシアのダレイオス3世の間に,現トルコのイスケンデルン湾沿岸のイッソス平原で行われた戦い。大王は巧みな用兵で大勝利を得,小アジアを確保し,アジア遠征を容易にした。出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 ソドマ Sodoma(1477―1549):イタリアの画家。ソドマ(男色の意)は通称で、本名はジョバンニ・アントニオ・バッツィGiovanni Antonio Bazziという。北イタリアのピエモンテ地方の町、ベルチッリに生まれ、シエナで没。北イタリアで画業を学び、とりわけレオナルド・ダ・ビンチの影響を受けたが、1500年ころシエナに行き、以来シエナで活躍した。したがって、中部イタリア画派の一人とみるべきである。実際、彼はシエナでペルジーノやルカ・シニョレッリの影響を受けている。05年から08年にシエナ近郊のモンテ・オリベート・マッジョーレのベネディクト派修道院に聖ベネディクトゥスの生涯の壁画を描き、シニョレッリが始めたこの連作を完成させた。またローマにも行き、ラファエッロなど諸家に学ぶとともに、ファルネジーナ荘の壁画などを制作している。彼は次世代のシエナのマニエリスムの画家たち、とりわけベッカフーミに大きな影響を及ぼした。代表作は『十字架降下』(1502・シエナ国立絵画館)、『聖セバスチャンの殉教』(1525・フィレンツェ、ピッティ美術館)など。ソドマの描く絵画にはやや混乱がみられるが、その人物の表現には特有の優美さがあり、それが魅力となっている。[石鍋真澄]    

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)