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ローマ美術紀行
ファルネジーナ荘 (Villa Farnesina) その1
’14/12/30 有名なラファエッロ作「ガラテアの勝利」を見るためにファルネジーナ荘を訪れました。他にラファエロの工房作品、ペルッツィ、ピオンボ、ソドマの興味深い作品がありましたので紹介します。なお、ラファエロの恋人と言われているパン屋の娘・マルゲリータ・ルーティ が住んでいたと言われている所まで歩いてみました。距離にして約200m。とにかく近く、ファルネジーナ荘の仕事場と往復していたことがうかがえる。
そのパン屋があった所から約150m、 同じトラステベレにある評判のピザ屋ダル・ポエタ (Dar Poeta)に歩いて行きました。
ファルネジーナ荘 (Villa Farnesina) はローマにある2階建てのヴィラ。“ルネサンスの宝石”と称され、ラファエロなどのフレスコ画で知られる。ファルネジーナ荘はシエナの富裕な銀行家で、教皇ユリウス2世の会計係でもあったアゴスティーノ・キージの依頼により建てられた。1506年から1510年の間に、シエナの芸術家でブラマンテの弟子であったバルダッサーレ・ペルッツィが、おそらくジュリアーノ・ダ・サンガッロの支援を受けて、デザインおよび建築を行った。キージの没後(1520年)、1579年にアレッサンドロ・ファルネジーナによって買い取られました。アッカデーミア・デイ・リンチェイの所有となって現在に至る。賓客を迎えるための施設として使われる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ファルネジーナ荘」・・撮り忘れていたので『ウィキペディア(Wikipedia)伊版』より借用
ファルネジーナ荘〔日本式2階〕見取り図
ファルネジーナ荘〔日本式1階〕見取り図
【 1階】
ファルネジーナ荘の1階には”ガラリアの間”と”アモルとプシュケの間”がある。
【 ガラテリアのロッジャ(開廊) Loggia di Galatea】
この部屋はラファエロの”ガラテアの凱旋”から名付けられた。
・左端から :セバスティアーノ・デル・ピオンボ ”ポリュフェモス”(1511~1512年)のフレスコ画
・その右隣り:有名なラファエロの”ガラテアの凱旋”のフレスコ画(1512年前半頃)
・さらに右隣 :その当時(1512年頃)未完成のままにされた壁は、17世紀のガスパール・デュゲ
またはジョヴァンニ・フラチェスコ・グリマルディの風景のフレスコ画と言われている。
出典:深田真里亜 ”ラファエロ 作品と時代を読む”河出書房新社 第5章,
ホームページ ”I Viaggi di Raffaella: Villa Farnesina” など
ビオンボによる《ポリュフェモス》が壁面左端に描かれ(1511-12年頃)、続いて右隣にラファエロによる《ガラテアの凱旋》が表されたと考えられている(1512年前半頃)。二つの絵画はまとまりのある一つの主題━【海のニンフ、ガラテアに恋慕の情を寄せるポリフェモス】というテーマを表している。
ガラテアとポリュフェモスとは、当時の人文主義者たちによく知られた古代の詩歌・説話の登場人物だそうで、フィレンッツェの詩人アンジェロ・ポリツィアーノによる詩『馬上槍試合』(1494年)の一節だそうです。
出典:深田真里亜 ”ラファエロ 作品と時代を読む”河出書房新社 第5章
ラファエロの”ガラテアの勝利”のフレスコ画
”Trionfo di Galatea”- Raffaello
ガラテア Galatea
ガラテア(ガラテイア)は、ギリシア神話に登場する女性で、その名は「乳白色の肌をもつ者」の意。
「ガラテアの勝利」として知られるこの絵は,海のニンフ,ガラテアが,自分に恋する一つ目巨人ポリュペモスの求愛を拒絶する,古代から良く知られた物語を題材にしている.出典:宮城徳也サイト”フィレンツェだより 番外編 2016 ラツィオ・ウンブリア”、他
ラファエロ(1483年ウルビーノ生-1520年ローマ没)は言うまでもなく、イタリア・ルネッサンスの3大巨匠であるが、 37歳という若さで亡くなった。ラファエロは1520年4月6日亡くなったが、その数日後の4月11日ラファエロのパトロンであり、ファルネジーナ荘を建てた大銀行家のアゴスティーノ・キージが同じローマで亡くなった。何か因縁でもあるのかな?
ラファエロ(1483年ウルビーノ生-1520年ローマ没)は言うまでもなく、イタリア・ルネッサンスの3大巨匠であるが、 37歳という若さで亡くなった。ラファエロは1520年4月6日亡くなったが、その数日後の4月11日ラファエロのパトロンであり、ファルネジーナ荘を建てた大銀行家のアゴスティーノ・キージが同じローマで亡くなった。何か因縁でもあるのかな?
ガラテリアのロッジャのアーチ形天井
Volta della Loggia di Galatea
1511年、建築構造が完成した直後からバルダッサーレ・ペルッツィ(Baldassarre Peruzziにより、アゴスティーノ・キージのホロスコープ(占星術における各個人を占うための天体の配置図)を描いた。このホロスコープは、星座を表す古代神話動物たちが、濃紺のラピスラズリを背景に表されている。この星座の神々はキージが誕生した日時のホロスコープを表現したもので、彼の成功が生まれた瞬間に星々によって定められていたことを示唆している。
ペルッツィが天井を仕上げた後、1511年 - 1512年の冬にはキージは、ヴェネツィア出身の画家セバスティアーノ・デル・ピオンボに下方のリュネットの絵画を任した。オウィディウスの”変身物語 Ovid’s Metamorphoses”から取られた神話の場面を描きました。ピオンボはキージが新妻フランチェスカとともにヴェネツィアからローマへと連れて帰った人物であり、ファルネジーナ荘の装飾事業以降、ラファエロと度々競合を繰り広げることになる。
出典:ファルネジーナ荘公式ホームページ及び深田ら”ラファエロ 作品と時代を読む”河出書房新社
バルダッサーレ・ペルッツィ作品
□-①:ペルセウスの女怪メドゥーサ退治とアゴスティーノ・キージの栄光を 告げる女神ファーマ
◇-3:アフロディーテ(山羊座の金星)
◇-4:アポロとケンタウロス
(射手座のアポロン)
△-4:矢座
△-11:琴座
△-12:祭壇座
”ガラテリアのロッジャのアーチ形天井” 詳細
□-①:八角形の天井画で左側に”ペルセウスの女怪メドゥーサ退治”、右側に”ローマ神話の女神ファーマが
アゴスティーノ・キージの栄光を告げている”。 ”ペルッツィ作品”
メドゥーサはギリシア神話で、三人姉妹の怪物で、頭髪が蛇となっていて、目は人を意思に化す力が
あったが、ペルセウスに首をきられた。ファーマはローマ神話の女神で、ギリシア神話のペーメーに
相当し、「噂 (fame)」や「名声」を人格化した女神である。
◇-3:アフロディーテ(山羊座の金星) ”ペルッツィ作品”
◇-4:アポロとケンタウロス ”ペルッツィ作品”
ケンタウロスとは、ギリシア神話に登場する半人半獣の種族の名前である。馬の首から上が人間の上半 身に置き換わったような姿をしている。この絵は ケンタウロス族の中でも賢者として名高いケイローンと思わ れ、一般に野蛮で粗暴なケンタウロス族の中で、ケイローンは例外的な存在であり、アポロンから音楽、医 学、予言の技を、アルテミスから狩猟を学んだという。射手座は弓矢を持った姿から来ている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バルダッサーレ・ペルッツィ:1481年 - 1536年。盛期ルネサンスの画家・建築家。
ラファエロの流れをくむ繊細で優雅な建築、室内装飾をデザインした(ローマ・ファルネジーナ荘の設計1510年、ガラテアの間の天井画1511年)。ファルネジーナ荘を建てた銀行家アゴスティーノ・キージと同じ、シエナに生まれ、画家として修行を積んだが、1503年にローマに移住。ブラマンテのもとで建築家としての修行を積む。ラファエロ没後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家として任命されるが、ローマ略奪のためローマから逃れ、シエナに移る。その後ローマに戻るが、(ルネサンス建築として)その作風は盛期ルネサンスからマニエリスムへの移り変わりを示している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バルダッサーレ・ペルッツィ作品
□-②:雄牛に引かれた戦車lに乗った大熊座の妖精カリスト
◇-5:天秤座のマルスとさそり座のマキュリー
◇-6:乙女座のディアナとエリゴーネ
◇-7:ヘラクレスとネメアのライオン(獅子座)
◇-8:ヘラクレスとレルネのヒュドラ(蟹座)
◇-9:レダと白鳥 (双子座)
△-5:バッカスとアリアドネ.冠座
△-6: コップ座
△-7:へび座とからす座
△-8:アルゴ座
△-9:犬座
△-10:ぎょしゃ座(馭者座)
○-8:大きな若者の肖像画
セバスティアーノ・デル・ピオンボ作品
○-4:ニソスの髪の毛を切るスキュラ
○-5:パエトン(フェートン)の墜落
○-6:北風ボレアスによるオレイテュイアの略奪
○-7:ゼフュロスとフローラ
○‐8:若者の頭部
バルダッサーレ・ペルッツィ作品
□-①:ペルセウスの女怪メドゥーサ退治とアゴスティーノ・キージの栄光を 告げる女神ファーマ
◇-1:ビーナス、キューピッドとサトゥルヌス.星座:魚座
◇-2:ガニュメーデースの強奪。星座:みずがめ座
◇-3:アフロディーテ(山羊座の金星)
△-1:ペガサス(天馬)の星座
△-2:白鳥座の星座
△-3:イルカ座
△-4:矢座
セバスティアーノ・デル・ピオンボ作品
○-1:テレウスのピロメーラーとプロクネーの追い掛け
○-2:アグラウロスとエルセー(ヘルセー) の神話
○-3:ダイダロスとイケルス
”ガラテリアのロッジャのアーチ形天井” 詳細
□-②:”雄牛に引かれた戦車lに乗った大熊座の妖精カリスト戦車に乗った妖精カリスト” ペルッツィ作品
妖精カリストは、大熊座の星座に変身している2匹の雄牛によって引かれた木星の戦車に乗って描か
れています。ギリシャ神話ではカリストはゼウスを魅惑して熊に変えられた妖精で空に放たれ、おおぐま
座となったそうだ。 出典:電子版ジーニアス英和など
○‐8:若者の頭部 ” ペルッツィ作品”
ミケランジェロがファルネジーナ荘に訪れ、木炭の数筆で完成させた逸話が残っているように、長い間、 ミケランジェロの作品と考えられていたが、実際にはバルダッサーレ・ペルッツィによる単色絵画である。
出典:ガイドブック Mirabilia Italiae. Guide "La villa Farnesina a Roma "
○-7:ゼフュロスとフローラ ”ピオンボ作品”
ゼピュロスはギリシア神話で、擬人化された西風。フローラはローマ神話の花と春の女神です。オウィディ
ウスの説によると、彼女は、西風の神であるゼピュロスによってイタリアに連れて来られ、以後花の女神に
なったという。 上部に描かれたゼフィロスだそうで、互いにたばこでもふかしているように見えるのですが。
出典:精選版・ウィキペディア、日本国語大辞典など
◇-1:ビーナス、キューピッドとサトゥルヌス.星座:魚座 ” ペルッツィ作品”
ギリシア神話では、ユーフラテス川での大宴会の時、怪物のテイフオンが現れた。愛と美の
女神アフロデ ィテ(ビーナス)とその息子エロス(キューピッド)は魚に変身し、ユーフラテス川
を泳いで逃げ、その時海の中では手が繋げない為、リボンで結んではぐれない様にして逃げました。
この姿をみてゼ ウスはこの母子の姿をいつまでも記念するために魚座として星座に加えたというこ
とです。
愛と美の女神アフロディテ(ビーナス)は大地および農耕の神クロノス(ローマ神話では サトゥルヌス)が、自分の父親のウラノスを殺し生殖器を海に投げ込んだ時に精液と海水が混ざっ てできた泡から誕生したといわれている。
出典:ホームページ ,(c)dresslegend.com,魚座 ギリシャ神話・星座
◇-2:ガニュメーデースの強奪。星座:みずがめ座 ” ペルッツィ作品
○-1:テレウスのピロメーラーとプロクネーの追い掛け ”ピオンボ作品”
オウィディウスの『変身物語』では、テーレウスがピロメーラーを恋するようになったのは、
プロクネーとの結婚後5年目の秋、プロクネーが妹に会いたがったために、テーレウスがアテーナイ
にピロメーラーを迎えに出向いたとき、テーレウスはピロメーラーを犯して舌を切り取り、プロク
ネーにはピロメーラーが死んだと作り話をした。プロクネーは息子のイテュスを殺して料理に出し、
ピロメーラーはイテュスの首をテーレウスに投げつけたとする。テーレウスがヤツガシラに、ピロ
メーラーとプロクネーがツバメとナイチンゲールに姿を変えられた。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セバスティアーノ・デル・ピオンボはルネサンス期からマニエリスム期にかけて活動したイタリアの画家。1485年頃 ヴェネツィア生まれ、 1547年 ローマで亡くなる。ピオンボの通称は1531年に教皇庁の鉛(ピオンボ)の封印の保管職に任ぜられたところからきている。ジョバンニ・ベッリーニの弟子となるが、同門のジョルジョーネから大きな影響を受けた。ヴェネツィア派の配色、ローマ派の堂々とした構図で有名である。
1511年アゴスティーノ・キジの招きでローマに移り、ビラ・ファルネジーナに『ポリュペーモス』(1511~12)、半円形(ルネット)の壁画を制作。ラファエッロとは相互に影響を与え合い、『ドロテア』(1512年)などの優れた肖像画が生まれた。
ミケランジェロからはいっそう強い影響を受けており、彼から与えられたデッサンを下絵にして『ラザロの蘇生(そせい)』(1517‐19年)などの宗教画を制作している。
出典:主に小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書
【ア モ ー ル とプシュケのロッジャ(開廊) La Loggia di Amore e Psiche】
ファルネジーナ荘はラファエロの”ガラテアの凱旋”のフレスコ画があるので訪れたが、ラファエロ工房の”アモール(クピド、キューピット)とプシュケ”のフレスコ画が素晴らしく魅了してしまった。確かにラファエロのスケッチあるいは下絵、素描からラファエロの弟子と共同制作者によって描かれたものらしい。
写真は、愚妻が写っていて申し訳ないですが、”アモールとプシュケの開廊”の全景です。
古代ローマ時代の著述家アプレイウスによる小説『黄金の驢馬(ロバ)』内の劇中話「アモルとプシュケの物語」が天井に描かれた(1518年)。
アモルとかアモールはギリシア神話の恋の神エロスのラテン語名Amorで、愛を意味する。ローマ神話の女神ウェヌス(ビーナス)の息子クピド(キューピッド)もエロスと同一神である。
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
ラファエロ工房 ”アモールとプシュケの開廊”の”アモルとプシュケの婚礼”側の天井
ラファエロ工房 ”アモールとプシュケの開廊”の”神々の評定”側の天井
「アモルとプシュケの物語」
プシュケはとある王国の末娘であり、恵まれた美貌によって人々の称賛のまととなっていた。美の女神ウェヌス(ビーナスのラテン語名)はプシュケのあまりの美しさゆえに激しく嫉妬し、息子である愛の神アモルを呼び寄せ、彼女がぶざまな者と恋に落ち結婚するようにと命じた(▽-①)。
プシュケが巌(いわお)にいると、風の息吹によって、彼女は壮麗な館へと運ばれる。プシュケは姿を見ぬままに館の主人と結ばれ、結婚する。主人の正体を知りたくなったプシュケは、ある晩、蝋燭の火を灯して主人の姿を照らし出すと、アモルこそが自身の夫であったことを知る。アモルはプシュケに射られた者が激しい恋心を抱く矢を狙い定めていたところ、誤って矢で自分自身の指を傷つけてしまい、プシュケへの熱烈な恋に落ちていたのである。
アモルがプシュケへ恋したことを知ったウェヌスは激怒し、伝令の神であるメリクリウスに、プシュケを女神のもとに連れてきた者には褒美を出す、とのお触れを広めるように懇願する(▽-⑥)。メリクリウスの知らせにより、捕まったプシュケはウェヌスの前に引きずり出され折檻を受けた後、次々と難題を課せられる。プシュケは、第四の難題、冥界の王の后プロセルピナの美しさを少々小筺(こばこ)に分けてもらうという難行の帰り道(▽-⑦、▽-⑧)、好奇心から小筺を開けてしまい、深い眠りに落ちていまう。
ようやく火傷の治ったアモルは、ユピテルにウェヌスへのとりなしを頼むと(▽-⑨)、プシュケを眠りから目覚めさせる。ユピテルの仲介によって、ウェヌスはアモルの願いを聞き入れ、プシュケは神々の饗宴へ招き入れられ(▽-⑩)、不死の神酒を授かり、神々への仲間入りを果たすと(□-1)、晴れてアモルと結ばれるのである(□-2)。そして二人は「喜悦(よろこび)」という娘を授かるのだった。
出典:深田真里亜 ”ラファエロ 作品と時代を読む”河出書房新社 第5章 P207~209
ラファエロ工房”アモールとプシュケの開廊”の天井
Soffitto della Loggia di Amore e Psiche
□-1:”神々の評定” ラファエロ工房作
□-2:”アモル(〔ギ神〕恋の神エロス)とプシュケの婚礼”ラファエロ工房作
▽-①:”ウェヌス(ヴィーナス)とアモル”ラファエリーノ・デル・コッレ作
▽-②:”アモルと三美神”ジュリオ・ロマーノ作
▽-③:”ウェヌス、ケレスとユノ”ジュリオ・ロマーノ作
▽-④:”戦車に載ったヴィーナス ”ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑤:”ユピテルの前のヴィーナス” ペンニ
▽-⑥:”メルクリウス”ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑦:”オリンポス山に運ばれるプシュケ” ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑧:”ウェヌス(ヴィーナス)にプレゼントするプシュケ”ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑨:”アモルにキスするユピテル(〔ギ神〕ゼウス)” ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑩:”メリクリウスとプシュケ” ペンニ作
▽-①:ウェヌス(ヴィーナス)とアモル
ラファエリーノ・デル・コッレ作
▽-④:戦車に載ったウェヌス(ヴィーナス)
ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑥:メルクリウス ジュリオ・ロマーノ作
▽-②:アモルと三美神 ジュリオ・ロマーノ作
▽-③:ウェヌス、ケレスとユノ ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑤:ユピテルの前のヴィーナス
ジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ作
▽-⑦:オリンポス山に運ばれるプシュケ
ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑧:ウェヌス(ヴィーナス)にプレゼントするプシュケ
ジュリオ・ロマーノ作
▽-⑩:メリクリウスとプシュケ
ジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ作
▽-⑨:アモルにキスするユピテル(〔ギ神〕ゼウス)
ジュリオ・ロマーノ作
□-1:神々の評定 ラファエロ工房作
この絵自体も右から左に話が進んでいる。アモルがユピテルに嘆願することから始まり、プシェケがメリクリウスから一杯のネクタル《[ギ神][ロ神]神々の飲む不老長寿の酒》を受け取ることで終わり、そこで不死を得る。
出典:ガイドブック Mirabilia Italiae. Guide "La villa Farnesina a Roma "
”□-1:神々の評定”の右側詳細
”□-1:神々の評定”の左側詳細
□-2:アモル(〔ギ神〕恋の神エロス)とプシュケの婚礼
ラファエロ工房作
結婚披露宴では、アモル(クピド)とプシェケが一番右の座席に着き、ようやく結婚しました。 三美神が彼らの後ろに立ち、バルサム(香油)を振りかけ、一方ワインの神バッカスが天使のために飲み物を注ぎます。この絵の左側では、鍛冶の神ヴァルカンの妻ヴィーナスが牧羊神パンの笛に合わせて熱心に踊っているのでヴァルカンがヴィーナスに怒りの目を向けています。
出典:ガイドブック Mirabilia Italiae. Guide "La villa Farnesina a Roma "
”□-2:アモルとプシュケの婚礼”の左側詳細
”□-2:アモルとプシュケの婚礼”の右側詳細
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano, 1499年 - 1546年)はルネサンス中期の画家・建築家。幻想的、官能的なマニエリスム芸術を展開し、マニエリスムを代表する16世紀イタリアの画家。本名ピッピGiulio Pippi。ローマのカンピドリオの近くで生まれ育ち,ラファエロの工房で修業。ラファエロの工房内において最も重要な高弟として,バチカン宮殿内の壁画をはじめとする師の晩年の作品の多くを共同で制作した。バチカンの後期のフレスコ画や「樫の木の下の聖家族」といった後期の作品は一般的にラファエロではなく彼の手によるものとするのが定説である。師であるラファエロの死後(1520年)、壁画を完成させた。1524年フェデリコ・ゴンザーガに招かれてマントバに移り,公の別荘パラッツォ・デル・テ(1525‐32)を建設,主宮殿パラッツォ・ドゥカーレの改修に従事し,市の都市・水利計画を指導した。マントヴァには自邸を建て、晩年まで暮らした。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラファエリーノ・デル・コッレRaffaellino Del Colle(1490年 - 1566年) - イアリア、トスカーナ州アレッツォ県サンセポルクロのコッレ村生まれ。主にウンブリアで活動したマニエリスムの画家。ラファエロ・サンティの弟子。ファルネジーナ荘とバチカン宮殿の部屋の装飾を手伝う。ラファエロの死後、ラファエッリーノはジュリオ・ロマーノの指揮下でバチカンの「コンスタンティヌスの間」を手助けした。 出典: Raffaellino del Colle - Wikipedia
ジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ (伊: Giovan Francesco Penni、1488年 / 1496年 - 1528年)は、ルネサンス盛期のイタリア人画家。数多いラファエロの弟子、工房出身者のなかでもよく知られている芸術家の一人である。ペンニはフィレンツェの織物職人の家に生まれた。幼少のころからラファエロがローマで経営していた工房の一員となり、ラファエロとの共同作業でヴァチカン宮殿ラファエロの間のフレスコ壁画や、ローマ教皇の財務担当だったアゴスティーノ・キージの別宅(現ファルネジーナ荘)のフレスコ壁画を担当した。ラファエロが37歳で急逝した後、ペンニは同じくラファエロ工房のジュリオ・ロマーノと共同で、4部屋あるラファエロの間の「コンスタンティヌスの間」、モテルーチェの『聖母被昇天と聖母戴冠』、マントヴァのテ宮殿 (en:Palazzo Te) などの作品を制作した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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