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ローマ美術紀行
コロンナ宮美術館訪問Galleria di Palazzo Colonna 2016/12/31
コロンナ宮美術館は映画”ローマの休日」”の実際の撮影場所であるコロンナ宮殿内にあることで有名です。通常、土曜日のみの開館のため、なかなか見る機会がなかったが、ようやく2016/12/31に行くことができた。私の独断と偏見から見所を紹介します。
コロンナ宮美術館入口
コロンナ・ベッリカの間 Sala della Colonna Bellica
”コロンナ・ベッリカの間 ”の天井(ジュゼッペ・キアリGiuseppe Chiari のフレスコ画).
シピオーネ・プルツォーネと彼の工房「シクストゥス5世の肖像」 Ritratto di Sisto Ⅴ (Scipione Pulzone e Bottega)
シピオーネ・プルツォーネ(伊版)・スキピオーネ・パルゾーネ(英版)Scipione Pulzoneは1544年生-1598年没、イル・ガエターノIl Gaetanoとして知られ、後期イタリア・ルネッサンスのナポリの画家(反マニエリスムの画家)
グエルチーノ「隠者聖パウロ」
S. Paolo Eremita (Guercino)
アーニョロ・ブロンズィーノ 「ヴィーナス、キューピットとサテュロス」 Madonna con il Bambino Assopito, S. Anna e S. Giovannino (Bronzino)
アーニョロ・ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino, 1503年- 1572年)は、マニエリスム期のイタリア・フィレンツェの画家。ブロンズィーノという愛称は、恐らく彼の髪の色であった「青銅」色を意味するイタリア語“ブロンゾ”に由来する。メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍する。「愛の勝利の寓意」に代表される画風は、極めて知的・技巧的で洗練された美しさに満ちている。また、肖像画にも多数の優れた作品を残している。・・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2016年7月29日 (金) 20:59
マニエリスム:ルネサンス後期、盛期ルネサンスからバロックに移行する過渡期(1525-1610年ごろ)に流行した特定の様式に対して用いられる。特徴は非現実的な人体比例、誇張された遠近法と短縮法(たとえば、画面の奥行きが極端で、人体が引き伸ばされた絵など)、不自然な空間表現、反自然主義的な色調などである。
大広間 Sala Grande
ナポレオン3世時代の砲弾痕
シピオーネ・プルツォーネ「聖ピウス5世(ギスリエリ家)の肖像」 Ritratto di S. Pio V Ghislieri (Pulzone Scipione)
ジロラモ・ムジアーノ「十字架の前で祈る聖フランシスコ」
S. Francesco in orazione dinanzi al crocifisso (Girolamo Muziano)
ジロラモ・ムジアーノ(1532年イタリア ブレシア生 -1592年ローマ没)反マニエリスム画家
ボニファーツィオ・ヴェロネーゼ 「聖家族と天使、聖ヒエロニムスと聖女ルチア」
Sacra Famiglia con S. Girolamo e S. Lucia (Bonifacio Veronese)
風景画の間 La sala dei Paesaggi
ボニファーツィオ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ1487年生-ヴェネツィア1553年没)イタリアの画家。あの有名なヴェロネーゼ(パオロ・ヴェロネーゼ)とは別人です。パルマ・イル・ヴェッキオの指導を受け、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ラファエッロとローマのマニエリスム派の作品の影響を受けている。
象牙・黒檀による飾り棚(17世紀)
フランツ,ドミニクス・スタインハート兄弟の象牙・彫刻をカルロ・フォンターナが企画して作った飾り棚(17世紀) ・・・Milestone Romeより
ドミニクス・スタインハートDominicus Steinhart: (1655 ヴァイルハイムWeilheim 生- 1712ミューヘン München没, ドイツGermany) バイエルンの象牙彫刻家
中央パネル”ミケランジェロ・ブオナローティのシスティーナ礼拝堂「最後の審判」 の模刻”
実際のシスティーナ礼拝堂の最後の審判も感動したが、彫刻でこれまでできるのかとまたまた感銘を受けた。
マルティヌス5世神格化の間 Sala dell'Apoteosi di Martino V
マルティヌス5世神格化の間
フランチェスコ・アルバーニ「エウロペの略奪」
Il Ratto di Europa (Francesco Albani)
フランチェスコ・アルバーニ(b. 1578, Bologna, 1660, Bologna)。17世紀のボローニャ派の画家。ボローニャでマニエリストでフレミングの画家カルヴェールト(Denijs Calvaert)に学ぶ。その後に、17世紀ボローニャ派の巨匠アンニバーレ・カラッチ(Annibale Carracciのアカデミー入り。カラッチの主要な弟子の一人となる。さらに、当時の通例に従ってローマでも学び新古典主義を画風とした。神話や歴史に題材を求めるとともに、それらを牧歌的に描いたことで知られる。その画風故に、フランスではグイド・レーニ(Reni, Guido [1575-1642])、ル・ゲルシャン、ドミニカンとともに近代絵画の「四人の福音主義者」とされ、その画風はクロード・ロランなどに引き継がれて行く。posted by N.Takeuchi
ペルジーノとその工房「荒野の悔悛(かいしゅん)者聖ヒエロニムス(ジローラモ)」
S. Girolamo Penitente nel deserto (Perugino e Bottega)
悔悛(かいしゅん):〔キリスト教〕過去の罪を悔いて、神の赦(ゆる)しを請うこと ・・・大辞泉より
ピエトロ・ペルジーノ(1448年頃 - 1523年)は、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家。若かりし頃はフィレンツェのフィレンツェにあったアンドレア・ヴェロッキオの工房にて油彩を習得した。レオナルド・ダ・ヴィンチやドメニコ・ギルランダイオ、フィリッポ・リッピと共に絵画技術を学び、フィレンツェやペルージャを中心に多くの作品を残しています。ボッティチェリ、ギルランダイオらとともに、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当した。この壁画制作にあたり棟梁的な役目を果たしたとみなされており、彼の弟子にはピントゥリッキオやラファエロ がいた。ペルージャ近郊の街で生まれたことからペルジーノと呼ばれている。
パオロ・ヴェロネーゼ『貴族の肖像
Ritratto di Gentiluomo (Paolo Veronese)
パオロ・ヴェロネーゼ(伊: ヴェローナ1528年 - ヴェネツィア1588年)は、ルネサンス期のヴェネツィアで活動したイタリア人画家。『カナの婚礼』、『レヴィ家の饗宴』などの作品で知られる。出身地のヴェローナから「ヴェロネーゼ」として呼ばれれるようになった。ヴェロネーゼはティツィアーノとティントレットと並んで、ルネサンス後期のヴェネツィアを代表する画家であると評価されている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2016年9月30日 (金) 23:16
アンニバレ・カッラッチ「 豆を食べる男」
Il Mangiafagioli(Annibale Carracci)
アンニバレ・カッラッチ(Annibale Carracci, 1560年 - 1609年)はバロック期のイタリアの画家。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家である。アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、後世への影響も大きい。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2017年2月14日 (火) 09:35
アーニョロ・ディ・コジモ(通称ブロンズィーノ)「聖母とまどろんだ幼児イエス、聖アンナと幼き洗礼者聖ヨハネ」Madonna con il Bambino Assopito, S. Anna e S. Giovannino (Bronzino)
(ヤコポ・)ティントレット「オノフリオ・パンヴィニオの肖像」
Ritratto di Onofrio Panvinio (Jacopo Tintoretto)
ドメニコ・ティントレット「本を持った若者の肖像」
Ritratto di un giovane con libro (Domenico Tintoretto)
ドメニコ・ティントレットは有名な”ティントレット(ヤコポ・ティントレット)”の子供ですが、やはり父親の方が上のような気がする。
ヤコポ・ティントレットは俗に言うティントレットで、イタリア・ルネサンスのヴェネツィア派の画家。師匠はティツィアーノと言われている。
玉座の間 Sala del Trono
ピサネロ作品のコピー「教皇マルティヌス5世(コロンナ家)の肖像」
Ritratto di Papa Martino Ⅴ Colonna (Pisanello– Copia da)
ピサネロ(Pisanello, 1395年頃 - 1455年頃)は、15世紀に活動したイタリアの画家。国際ゴシック様式を代表する画家の一人であり、記念メダルの作家としても知られる。日本語では「ピサネッロ」とも表記する。出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2015年11月23日 (月) 18:23
シピオーネ・プルツォーネ「フェリーチェ・オルスィーニ・コロンナの肖像」
Ritratto di Felice Orsini Colonna (Scipione Pulzone)
シピオーネ・プルツォーネ(伊版)・スキピオーネ・パルゾーネ(英版)Scipione Pulzoneは1544年生-1598年没、イル・ガエターノIl Gaetanoとして知られ、後期イタリア・ルネッサンスのナポリの画家(反マニエリスムの画家)
反マニエリスム(英語: Counter-Maniera, Counter-Mannerism)は美術史において16世紀イタリア絵画の研究者たちによって提唱された潮流で、およそ1530年から1590年にイタリアの芸術において一世を風靡したマニエリスムの一種、あるいはその一時期を指す。反マニエリスムは第二世代に当たる16世紀後半のマニエリスムの画家たちの作り出す不自然さに対抗するものであった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2016年10月2日 (日) 10:15
プリミティーヴィの間 Sala dei Primitivi
ボッティチェッリ工房「聖母と幼児イエス」
Madonna con il Bambino (Sandro Botticelli – Bottega di)
ボディチェリーの工房作品ということですが、ボディチェリーらしい作品のように感じた。
つづれ織りの間 Sala dell'Arazzo
聖女バーバラの伝説の巨匠(作者)と呼ばれている画家
「東方三博士の崇拝」
Maestro Della Leggenda Di S. Barbara,
Adorazione dei Magi
聖女バーバラの伝説の巨匠(作者)と呼ばれている画家というのは誰かわかりませんが、私好みの絵です。どなたか
教えてください。
礼拝堂の間 Salone della Cappella
グエルチーノ「律法の板を持つモーゼ」
Mosè con le Tavole della Legge (Guercino)
グエルチーノでも好きな作品ですが、グイド・レーニに似ていると思うのは私だけでしょうか?
グエルチーノ(Guercino) (1591年 - 1666年)は、バロック期のイタリアの画家。エミリアの出身で、ローマ、ボローニャで活動した。グエルチーノという言葉は「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視だったことからつけられたあだ名である。初期のスタイルはチェントのアンニーバレ・カラッチの影響を受けている。それが後期の作品となると、彼と同時代の巨匠グイド・レーニの作風に接近し、より明るく明瞭な絵を描くようになってゆく。・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2017年2月15日 (水) 00:19
クリストファーノ・デル・アルティッシモ工房「教皇ユリウス2世」
Giulio ⅡPapa (Cristofano dell' Altissimo bottega di)
たぶん”礼拝堂の間”にあったと思う。
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