
ローマ美術紀行
カピトリーニ美術館訪問(その1) 2014/12/28及び2016/12/30
私は2014年の年末、2016年の年末、絵画を中心にローマ観光した。ローマには数々の美術館・教会があるため、カピトリーニ美術館にあまりウエイトを置いていなかった。ところが、2014年12月28日(日)、バチカン博物館が無料開放日だったので、バチカン博物館に行ったところ、長蛇の列、あきらめて急遽、カピトリーニ美術館を訪れた。ところが、思ったより素晴らしく、2014年と2016年の2度訪問することになったので、御紹介します。
カピトリーニ美術館はコンセルヴァトーリ宮、コンセルヴァトーリ美術館、カピトリーナ絵画館、および新宮殿(ヌオーヴォ)から構成されています。今回はコンセルヴァトーリ美術館及び豪華なコンセルヴァトーリ宮殿の居室を中心に御紹介します。

カンピドーリオ広場
正面に市庁舎、左にカピトリーニ美術館の新宮殿(ヌオーヴォ)右にカピトリーニ美術館のコンセルヴァトーリ宮殿がある。
【コンセルヴァトーリ美術館】
・コンセルヴァトーリ宮殿中庭 Cortile del Palazzo dei Conservatori

コンセルヴァトーリ宮殿中庭
Cortile del Palazzo dei Conservatori
(2).jpg)
巨大なコンスタンティヌス大帝の
大理石像 頭、足、手、腕の一部
大理石製の巨大な手や足は、本来高さ12メートル以上あったコンスタンティヌスの巨像の残骸だそうです。
・領主の収集の壺 Vasi della Collezione Castellani



コンセルヴァトーリ宮殿・2階へ通じる大階段のアーチ形天井
「カピトリーノの雌狼」などが描かれているらしい、スタッコ(漆喰仕上げ)天井はなかなか魅力的
マルクス・アウレリウスの名誉記念碑のレリーフ(浮き彫り) (176年-180年)大理石
Rilievo da monumento onorario di Marco Aurelio
%E2%91%A0.jpg)
ドイツの征服
sottomissione dei Germani
%E2%91%A1%20.jpg)

カンピドーリオの丘のユピテル(ジュピター)への生贄(いけにえ)
sacrificio a Giove Capitolino
凱旋 triumph
写真:カピトリーノ美術館公式サイトより
ローマ・オフィシャルツアーガイド David Macchiによるとマルクス・アウレリウスの3つのレリーフは176年~180年 おそらく公式の記念碑、第16ローマ皇帝マルクス・アウレリウス(161年~180年)に捧げられたアーチ門から持ってきたもので、また 同じ記念碑からの8つのレリーフがコンスタンティヌスの凱旋門のために再利用されたと言われている。 出展: David Macchi( Tour Guide in Rome):ROMAPEDIA
一方、カピトリーノ美術館公式サイトによるとマルクス・アウレリウスの3つのレリーフはサンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会(ローマ)Chiesa dei Santi Luca e Martinaから1515年カピトリーニに来たとあるが、上記の記述との関係は解らない。

ハドリアヌス帝の胸像
第14代ローマ皇帝ハドリアヌス帝 (五賢帝の一人、在職117年 – 138年)
製作:117~120年頃
発見場所:アンツィオ( ローマより約50km離れた港町)


「仔牛を襲う虎」(オプス・セクティレ式大理石モザイク・パネル) Pannello in opus sectile con tigre che assale un vitello
西暦325~350年の作品。色の違う大理石を薄くカットし、ここまで形にするなんて驚きである!
このパネルは4世紀、政治家ジュニオ・バッソが作ったバジリカ(集会場)にあったようです。現在、ジュニオ・バッソのバジリカ(集会場)はサンタ・マリア・マッジョーレ教会の近く,ナポレオーネⅢ通り-3 (Via Napoleone III, 3 00185 Roma)の教皇庁立東方研究会Seminario Pontificio di Studi Orientaliがある場所にあったとのこと。出典:ホームページ”マミんこ古代ローマ案内”とBasilica of Junius Bassus - Wikipedia
オプス・セクティレ式(opus sectile)は古代と中世のローマの世界で普及した技法で、材料をカットして象眼細工して絵や模様を作ります。 一般的な材料は大理石、真珠の母(真珠が生み出される貝殻)、ガラスなどでした。 材料を薄片に切断し、研磨し、次いて希望のパターンに従ってさらにトリミングした。 非常に小さなピースから形成するモザイク模様のモザイク技法とは異なり、はるかに大きなブロックを使用している。出典:Opus sectile - Wikipediaとホームページ”聖年のローマを歩く① 国立博物館~トレビの泉 | - Sagra(サグラ)”
・領主たちの部屋 Sala Castellani
エトルリア、ラティウム、マグナグラエキアから発見した約700作品(紀元前7世紀~4世紀)が展示されている。
エトルリア:古代イタリアにあった国;現在トスカーナToscany州とウンブリアUmbria州の一部にまたがる
ラティウム:現在のローマ南東部にあった古代の都市国家;古代ローマ人が紀元前10世紀から紀元前4世紀までのローマ支配の間居住した
マグナグラエキア:イタリア南部にあった古代ギリシアの植民都市群
金細工師Augusto Castellani(1829/1914)、コレクター、そしてカピトリーニ美術館のディレクターより、寄贈。

この棚はアッティカ式黒絵ギリシア陶器と思われる。
ヨーロッパの美術館で所蔵されている殆どのギリシャ陶器の優品は、エトルリア地帯からの出土のものである。出典:”古代イタリア半島:エトルリア - 音楽サロン表紙”ブログより

上段はブッケロ式黒陶のオイノコエOenochoeだと思います。
オイノコエはオイノス(葡萄酒)をケオー(注ぐ)を意味するそうです。
ブッケロとは、前7世紀から前5世紀前半まで作られたエトルリアの陶器。還元炎で焼成するため、全体が光沢のある黒い色を帯びている。
中段はアッティカ(アテナイ)式黒絵ギリシア陶器と思います。
下段右端の白を基調にした細長い壺【Donna con la domestica ドンナと召使い】は、白い木地に(古代ギリシアの)アッティカのレキュトゥス(古代ギリシアで用いられた首が細い陶器の瓶)です。紀元前 460〜450年ごろの作品。

上はアッティカ式赤絵ギリシア陶器キュリクスKylix(ワイン用の酒杯)
下段はアッティカ式赤絵ギリシア陶器アンフォラ(Amphora) だと思います。
アンフォラとはブドウ、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、オリーブ、穀物、魚、その他の必需品を運搬・保存するための容器でした。出典:”古代ギリシャ・ローマ時代の容器のまとめ”ブログより
・歴史的な記録(現代)の間 Sale dei Fasti Moderni
”歴史的な記録(現代)の間には2室があり、石棺の上壁に”カピトリーニの執務官の記録Fasti consulares capitolini”という碑文が彫刻されている。1640年から1870年にかけて市の行政官(元老院議員)の名前が彫られているそうです。出典:サイト”I Viaggi di Raffaella: Roma”、カピトリーノ美術館公式サイトなど
.jpg)
競技者の彫刻 (ヴェッレトリの選手)
「ヴェッレトリの選手」の原作は紀元前6世紀のもので、ローマの南東約35kmにあるヴェッレトリ付近のアリアーノの屋敷にあったローマンコピー ・・参考資料:ROMAPEDIA、 カピトリーノ美術館公式サイト
壁にローマの行政官の碑文(カピトリーニの執務官の記録)が刻まれています。
.jpg)
酒神ディオニュソス(バッカス)の石棺
ギリシア神話の酒神ディオニュソス(ローマ神話だと酒神バッカス)の行進が描かれた大理石の石棺。西暦160~170年頃の製作・・・参考資料: https://hiveminer.com/Tags/capitolinemuseums,museicapitolini
酒神ディオニュソス(ローマ神話だと酒神バッカス)の行進は①戦車に乗った酒神ディオニュソス(酒神バッカス)、②キューピット、③ライオン、④半人半獣ケンタウルス、⑤ヒョウ、⑥[ギリシア神話]メナード《バッカス神の巫女(みこ);霊感を受けた予言者》、⑦[ギリシア神話]マイナスとかメナード《バッカス神の巫女(みこ);霊感を受けた予言者》、⑧ギリシア神話の牧神パン《ヤギの角と足を持った半人半獣の森や牧畜の神などである。・・参考資料:サイト”Roman Art Sarcophagus Dionysian Procession Stock Photos”など

カリュドンのイノシシ狩猟”を描いた浮彫の石棺
紀元後3世紀前半(西暦201~250年)の作品。古代ローマ街道の一つであるティブルティーナ・ヴァレーリア街道でローマの東約30kmのティヴォリから約40kmのヴィコヴァーロあたりで発見されたらしい。・・出典:capitolini.infoサイト
カリュドーンの猪(Calydonian Boar)はギリシア神話に登場する巨大な猪。アイトーリアのカリュドーン王オイネウスが生け贄を忘れたために女神アルテミスの怒りを買い、この猪が放たれたとされる。ギリシア全土から勇士が招集され、オイネウスの息子メレアグロスの槍が猪の脇腹を貫き、メレアグロスが手槍でとどめを刺し、ようやく猪は退治された。・・出典:ウィキペディア
・マエケナス庭園の部屋 Sale degli Horti di Mecenate
マエケナス庭園から出土した作品が展示されている。
マエケナス庭園(紀元前40年頃~紀元後2年以降)はガイウス・キルニウス・マエケナスが設計し、ローマ市内のエスクィリヌスの丘の近くにヘレニズムおよびペルシア風の庭園をローマで初めて造園した。マエケナスはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの外交・政治面のアドバイザーであり、軍事面を掌ったアグリッパと並ぶアウグストゥスの腹心であった。後世、マエケナスの名前は「裕福さ」を示すものとなり、文化・芸術家の保護者としての意味も持つようになった(英Maecenas,伊mecenate,仏mecenatメセナ、他)。マエケナス庭園は後に皇帝ネロのドムス・アウレア(Domus Aurea、黄金宮殿)の拡張のため、没収された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2017年6月24日 (土) 14:36、ホームページ iviaggidiraffaella.blogspot.com
セマエケナス庭園は庭園の正確な位置を決定付ける資料がないようであるが、メルナラ通りとブオナッロティ通りに囲われた場所ではないかと思われる{エスクイリーナ門(ガッリエヌスの門))とラミアの庭の近く}。→わかり難いので、下記”古代ローマの庭園”の地図を見てください。
.jpg)
戦士ヘラクレス
Statua di Ercole combattente
原作紀元前4世紀後期(古代ギリシア)のローマン・コピー

マルシュアース
Statua di Marsia
原作紀元前2世紀(古代ギリシア)のローマン・コピー

マエケナス庭園(アウグストゥス帝時代)のカリアティッド(古代ギリシア建築のはりを支える女身像柱)
Cariatide proveniente dagli Horti Maecenatis
当美術館の中で気に入ったもののひとつで、ギリシャ(ヘレニズム)様式の何ともいえないエキゾチックな作品でした。
.jpg)
「ミューズ像」(オリジナルはヘレニズム文化時代のもの) Statue delle Muse

二輪戦車の御者
Auriga

オレステスとイピゲネイア( モザイク2~3世紀)
Mosaico che rappresenta Oreste e Ifigenia (II-III secolo d.C.).
・ラミアーニ庭園の部屋 Sale degli Horti Lamiani

古代ローマの庭園(File:Horti di Roma antica.jpgより改造)
Sale degli Horti Lamianiラミアーニ庭園の部屋ではルキウス・アエリウス・ラミアLucius Aelius Lamia)の庭園から発見された作品が、展示されている。ラミアーニ庭園(紀元前1世紀末~紀元4世紀)はローマのエスクイリヌス丘の現在の広場ヴィットーリオ・エマニュエレのあたりの地域で、ラミアは古代ローマの執政官(古代ローマでの政務官のひとつ。都市ローマの長である)であり、友人に第2代ローマ皇帝ティベリウスTiberius(14年~37年)がいた。ラミアーニの庭は第3代ローマ皇帝カリグラの時代(37年~41年)にローマ帝国の資産の一部になり、カリグラが住んだとも言われている。
出展:From Wikipedia, the free encyclopedia:This page was last edited on 11 December 2015, at 13:08.,David Macchi( Tour Guide in Rome):ROMAPEDIA,I Viaggi di Raffaella,I Musei Capitolini (Museo del Palazzo dei Conservatori)など

エスクィリヌスの丘のヴィーナス
Statua di Venere Esquilina
初期ローマ帝政期の作品。エスクィリヌスの丘・ラミアーニ庭園Horti Lamianiより発掘(1874年)

フォスコロ通りのバッカスのトルソー Torso di Bacco da via Foscolo

ヘラクレスに扮した第18ローマ皇帝 コンモドゥス
Busto di Commodo come Ercole
第18ローマ皇帝 コンモドゥス(在位180年– 192年)180年– 193年頃の作品
ラミアーニ庭園Horti Lamianiの地下室より発掘(1874年)
(2).jpg)
キトンを着た女性像 (初期ヘレニズム期の複製)
・タウルス-ヴェティウス庭園 Sale degli Horti Tauriani-Vettiani
古代ローマの元老院議員スタティリウス・タウルスStatilius Taurus(紀元前1世紀の人)の財産であったタウル ス-ヴェティウス庭園 Horti Taurianiは、ローマ・エスクイリーノの丘(エスクイリーノ地区)のラビカナ通り, マンツォーニ通りに位置した(詳細は上図の”古代ローマの庭園”に載せた)。タウルス-ヴェティウス庭園は紀元前1世紀からの著名な庭園で、その後、第4代ローマ皇帝クラウディウス(41年~54年)の時代53年にローマ帝国の資産になった。庭園は後に多数の地所に分解され、紀元3世紀の中頃にローマ皇帝ガッリエヌスGallienus(在位253年 – 268年)の指導のもとでHorti Licinianiの一部に復元した。西暦368年、ヴェティウス・プリーテックスタトゥス Vettius Praetextatus (約315年-384年)の資産になる。 また、古代後期にヴェッティウスの家がそこにあったことも発見されている。出展:David Macchi( Tour Guide in Rome),ROMAPEDIA、From Wikipedia, the free encyclopedia,カピトリーノ美術館公式サイト Musei Capitolini (Museo del Palazzo dei Conservatori)
スタティウルス タウラスStatilius Tauru:皇帝アウグストゥスの腹心のアグリッパの軍司令官。(古代ローマの)元老院議員、紀元前37年執政官(都市ローマの長、コンスル)の補佐、紀元前26年執政官を務めたらしい。
ヴェティウス:正式にはヴェティウス・アゴリアス・プリーテックスタトゥスVettius Agorius Praetextatusもしくはヴェッティオ・アゴリオ・プレステスタトVettio Agorio Pretestato(伊語)は、4世紀のローマ帝国の裕福な異教徒の貴族であり、数多くの神々のカルトの大祭司でした。

ヒュギエイア(健康の女神)
Statua di Igea
紀元前1世紀 作品
エスクィリヌスの丘 より発掘(1874年)
・マルクス・アウレリウスのエクセドラ Esedra di Marco Aurelio

マルクス・アウレリウス騎馬像
(ブロンズ製推定176年)
Statua equestre di Marco Aurelio
マルクス・アウレリウスは 第16代ローマ皇帝(在位161年 – 180年)です。
彼の騎馬像は176年サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に建てられた可能性がある。1538年教皇パウロ3世によりキャピトリーノ丘に移すように命じられ、その到着から1年後、ミケランジェロに設置計画を依頼し、カンピドーリオ広場に移設された。出典:カピトリーノ美術館公式サイト
%E2%91%A0.jpg)
コンスタンティヌス大帝の頭部
(ブロンズ製4世紀)
tatua colossale bronzea di Costantino: testa
コンスタンティヌス大帝は306年~337年ローマ皇帝、キリスト教を公認したとして知られている。
1471年、ローマ教皇シクストゥス4世により、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂からもたらされた。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂は1378年バチカンに移るまでここが教皇の宮殿であった。ローマ教皇(1471-84)シクストゥス4世はシスティーナ礼拝堂の建設を命じたことで有名な人です。出典:カピトリーノ美術館公式サイト
・カピトリーノのユピテル神殿(ジュピター神殿)のエリア
Area del Tempio di Giove Capitolino
.jpg)
古代ローマ時代のカピトリヌスの丘にあった公共広場フォルム・ボアリウムから、教皇シクストゥス4世(在位:1471年 - 1484年)の時代に発見された。 紀元前4世紀の古代ギリシア・モデルであるリュシッポスLysippus 風で紀元前2世紀に作られた作品。出典:カピトリーノ美術館公式サイト
金箔のヘラクレス像(紀元前2世紀)
Statua di Ercole in bronzo dorato
【コンセルヴァトーリ宮】
・オラーツィとクリアーツィの間 Sala degli Orazi e Curiazi

アレッサンドロ・アルガルディ 作『教皇インノケンティウス10世』
Alessandro Algardi /Statua di papa Innocenzo X
アレッサンドロ・アルガルディ (1595年-1654年)はイタリアの建築家・彫刻家。ボローニャに生まれたが、ローマに定住。ベルニーニに反してポロニアの古典主義の穏健さを表項した彫刻家として最も知らている 。 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ベルニーニとその弟子たちによる
『教皇ウルバヌス8世』
ベルニーニ (1598-1680)はイタリアのバロックの巨匠ですが、弟子たちとの共同製作つまり工房作品のようだ。