top of page

ナヴォーナ広場 Piazza Navona  

  ローマには至る所に広場がありますが、ベルニーニの作品もあり、有名なところなので訪れてみました。ベルニーニの作品も良かったですが、正月早々、カプチーノを飲みながら、ゆっくり過ごすのに居心地が良かった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・訪問日: ’15/1/1、1/2

  ナヴォーナ広場Piazza Navona)は、ローマで親しまれている広場の一つ。紀元 1 世紀に第11代皇帝ドミティアヌスによって競技場が建てられ、競技場のオープン・スペースの形状が現在の広場として受け継がれている。古代ローマ人はアゴーネagone(競技)を見るためにそこに行きました。そこは「キルクス・アゴナリス"Circus Agonalis"」(「競技場」)として知られていました。中世にはカンプス・アゴニスとなり、アゴーネ(agone) 、ナゴーナ (n'agona)、ナヴォーナ (navona) と変化して現在に至っている。出典:Wikipedia英語版、日本語版など

IMG_1506b.jpg
IMG_1483.jpg
四大河の噴水(7)とサンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂(1)
​ナボーナ広場(北側より)
IMG_1510.jpg
ムーア人の噴水(8-a)
IMG_1502.jpg
ネプチューンの噴水(8-b)

1  サンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂 S. Agnese in Agone
2  パンフィーリ宮 Palazzo Pamphilj
3  パスキーノ Pasquino
4  ブラスキ宮(ローマ市営博物館) Palazzo Braschi
5  ランチェロッティ ・トッレス宮 Palazzo Lancelotti-Torres
6  聖母聖心教会 Nostra Signora del Sacro Cuore
7  四大河の噴水 Fontana dei Quattro Fiumi                 
8-a ムーア人の噴水 Fontana del Moro         
8-b ネプチューンの噴水 Fontana del Nettuno
出典:Wikipediaドイツ版など

ナボーナ広場(見取り図)番号付きb.jpg

  ナボーナ広場はドミチアヌス帝の競技場が元になっており,南北に細長い広場は競技場のフィールドに,現在建物のある部分はスタンドにあたる。競技場はそれまで廃虚と化し,基礎の上に民家が建っていたが,教皇は広場に面して自身の館 (パンフィーリ宮 ”,現ブラジル大使館,1645) を C.ライナルディに設計させた。右手にはサンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂 1”を建造し,設計にはライナルディ父子,F.ボロミーニらがあたった。中央に世界の四大河川のナイル、ガンジス、ドナウ、ラ・プラタを擬人化したベルニーニ作の噴水「四大河の噴水」”7”、南にマリ作の「ムーア人の噴水」”8-a” 、北にデラ・ピッタとザッパラ合作の「ネプチューンの噴水」”8-b” がある。出典:ブリタニカ国際大百科事典 、日本大百科全書(ニッポニカ)など

ナヴォーナ広場見取り図
Wikipedia
ドイツ版より
ドミティアヌス競技場.jpg
ドミティアヌス競技場(西暦86年頃)
復元模型(北側より撮影)

Wikipediaドイツ版より

◆四大河の噴水(見取り図”7”) Fontana dei Quattro Fiumi

  四大河の噴は、ナヴォーナ広場の中心に位置し、ローマを代表する噴水一つのです。 1651年に教皇インノケンティウス10世の依頼に基づき、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって設計された。イノセントの家族の宮殿であるパンフィーリ宮は、イノセントがスポンサーとなったサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会と同様に、広場に面している。出典:Wikipedia英語版、伊版など

IMG_1483.jpg
四大河の噴水(⑦)とサンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂(①)
オベリスク.jpg
​オベリスクObelisco 

 噴水は水盤からできており、その中心からトラバーチン(注1)の岩が4つの川の神を支えるためにそびえ立ち、岩の上には、パンフィーリ家の紋章をあしらったアスアン(エジプト南部)の花崗岩のオベリスクがあります。これは教皇の権威が広がった4つの大陸の4つの主要な川を表しています。アフリカを表すナイル川、ヨーロッパを表すドナウ川、アジアを表すガンジス川、そして南北アメリカを表すラプラタ川
​ 出典:Wikikipedia”Fontana dei Quattro Fiumi ”英語版

 オベリスク:アゴナーレ・オベリスクObelisco Agonaleと呼ばれている。1世紀、ローマ皇帝・ドミティアヌス帝の統治時代にアスアン(エジプト南部)の花崗岩の採石場から削り出さられ、形作られる。ローマで、古代エジプトの象形文字が装飾された。 1世紀、ローマに設置後、各所に移動し、その後、倒壊されていた。教皇インノケンティウス10世の依頼に基づき、修復後、1651年、”四大河の噴水”に再利用される。 
​  出典
:Wikipedia”オベリスコ・アゴナーレObelisco Agonale”

IMG_1490.jpg
四大河の噴水(北側より)
左から擬人化されたドナウ川(背中)、中央に擬人化されたガンジス川、右に擬人化されたナイル川​     
IMG_1487.jpg
四大河の噴水(東側より)
左端に擬人化されたガンジス川、右端に擬人化されたナイル川
IMG_1498.jpg
四大河の噴水(西側より)
左に擬人化されたラプラタ川、右端に擬人化されたドナウ川
IMG_1501.jpg
四大河の噴水(南側より)
左に擬人化されたナイル川(背中)、右に擬人化されたラプラタ川
IMG_1495.jpg
四大河の噴水(北側より)
左に擬人化されたラプラタ川、やや右側にに擬人化されたドナウ川、右端に擬人化されたガンジス川(背中)

 (注1):トラバーチン(英: travertine伊:travertino)は大理石の一種。温泉、鉱泉、あるいは地下水中より生じた石灰質(炭酸カルシウム)化学沈殿岩で、緻密、多孔質、縞状など、多様な構造をもつ。トラバーチンは建築材料としてよく利用されている。古代ローマ人は古く乾いて硬くなったトラバーチンを大量に採掘した。ローマのコロッセオは、その大部分がトラバーチンでできた世界最大の建築物である。トラバーチンを多く使った有名な建築物としては他にローマのトレヴィの泉、パリのサクレ・クール寺院などがある。トラバーチンは、過飽和な石灰分を含むアルカリ性の水が地熱で加熱され、pCO2(二酸化炭素分圧)が上昇することにより形成される。大気のpCO2が低いため、その水からCO2が抜け、結果としてpH値が高くなる。pH値が高くなると炭酸塩の溶解度が低下し、沈殿が促進される。出典:トラバーチン - Wikipedia

トラバーチン.jpg

 四大河の噴水はジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって設計されたが、実際の彫刻家は下記の人物のようです。

岩-①.jpg
トラバーチン岩

・トラバーチン岩:ジョヴァン・マリア・フランキGiovan Maria Franchi (1648年)
・ガンジス川:クロード・プッサンClaude Poussin(1651年)
​・ナイル川:ジャコモ・アントニオ・ファンチェッリGiacomo Antonio Fancelli (1650年)
​・ラプラタ川:フランチェスコ バラッタFrancesco Baratta(1651年)
​・ドナウ川:アントニオ・ラッジAntonio Raggi (1650年)
出典:Wikipedia ”Fontana dei Quattro Fiumi”イタリア版

ガンジス川.jpg
​ガンジス川
ナイル川.jpg
​ナイル川
ラプラタ川.jpg
​ラプラタ川
ドナウ川の擬人像①.jpg
ドナウ川の擬人像②.jpg
​ドナウ川
​ドナウ川

◆ムーア人の噴水 (見取り図”8-a”) Fontana del Moro 

  ムーア人の噴水 は、ナヴォーナ広場の南端にある噴水です。トリトンTritone(注1)、イルカ、ホラ貝などの海洋シーンが表現されている。元々は1570 年代に教皇グレゴリウス13世の依頼よりジャコモ・デッラ・ポルタGiacomo della Portaによって設計され、水盤は彫刻家ルドヴィコ ・ロッシLudovico Rossiの作品、トリント Tritone、怪人面 Mascherone などはいろいろな彫刻家により作られた。
 ジャン ロレンツォ ベルニーニが「四大河の噴水」を完成させた後、教皇インノケンティウス 10 世はベルニーニの噴水の仕事に感銘を受け、再びベルニーニに依頼した。1650 年代、ベルニーニがこの噴水のセンターに彫刻を設置する設計を行った。ベルニーニは”ムーア人”の大きなテラコッタ・モデルを作り、ジョヴァンニ・アントニオ・マリ
Giovanni Antonio Mariにそれを手本として彫刻させた。
 トリント および怪人面は 1874 年に彫刻家ルイージ・アミチLuigi Amiciが作成したコピーに置き換えられた。
 外されたトリント および
怪人面はボルゲーゼ公園に運ばれ、設置および保管された。
​ 1988年、ひどく損傷した彫刻は取り外され、修復のためボルゲーゼ公園にあるピエトロ・カノニカ美術館Museo Pietro Canonica a Villa Borgheseに移された。
 出典:Wikipedia "Fontana del Moro"およびMuseo Pietro Canonica a Villa Borgheseホームページ

注1:トリトンは〔ギリシャ神話〕で海神ポセイドンPoseidonの息子。頭と胴体は人間で、魚の尾をもち、ほら貝を吹く姿として描かれている。後には海神の従者をもいう 出典:EX-word・ジーニアス英和辞典&小学館、 伊和辞典

IMG_1514.jpg
ムーア人の噴水(西側より)
IMG_1513.jpg
ムーア人の噴水(南側より)

☆ムーア人Moro(ムーア人の噴水)

ムーア人.jpg
ムーア人その2.jpg
ムーア人Moro(ムーア人の噴水)
彫刻:
ジョヴァンニ・アントニオ・マリ
ベルニーニの模型”ムーア人の噴水”.jpg
ベルニーニ「ムーアの噴水」のテラコッタ模型、キンベル美術館 Kimbell Art Museum
(テキサス州フォートワース)
出典:Wikipedia ”Fontana del Moro”より

☆トリトン(ムーア人の噴水)

トリトン ①.jpg
トリトン ②.jpg
トリトン ③.jpg
トリトンTritone(ムーア人の噴水)・・・現在のナボーナ広場
トリトンVB274.jpg
トリトンVB273.jpg
トリトンVB272.jpg
トリトン(ムーア人の噴水)のオリジナル・・・ピエトロ・カノニカ美術館
出典:Tritone/Museo Pietro Canonica a Villa Borgheseより

怪人面Mascherone(ムーア人の噴水)

怪人面②.jpg
怪人面①.jpg
怪人面(ムーア人の噴水)・・・現在のナボーナ広場
怪人面VB267.jpg
怪人面VB263.jpg
怪人面(ムーア人の噴水)のオリジナル・・・ピエトロ・カノニカ美術館
出典:Tritone/Museo Pietro Canonica a Villa Borgheseより

 ジャコモ・デッラ・ポルタ(1533年頃-1602年):イタリアの建築家。ミケランジェロ没後,未完となった末期の建築工事(スフォルツァ家礼拝堂,カンピドリオ整備計画,サン・ピエトロ大聖堂など)を引き継いだ。なかでも,サン・ピエトロ大聖堂の中央大ドームを,半球形の原案を構造的配慮から浅い尖頭形に改めたうえで助手フォンタナとともに完成させた功績は大きい。師匠だったビニョーラ没後はローマ市内の主要建築物の工事の大部分に関係し,〈ローマ市民の建築家〉とよばれたが,ルネサンスからバロックへの過渡期にあって,その様式的個性は乏しかった。
出典:平凡社世界大百科事典 第2版より

 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598年-1680年):イタリアの彫刻家,建築家,画家。ナポリ生まれ。彫刻家の父ピエトロ に師事し,父とともにローマに行き,枢機卿 S.ボルゲーゼのために『アポロンとダフネ』 (1622~25,ボルゲーゼ美術館) その他を制作。教皇ウルバヌス8世のもとで,バチカン宮殿の建築や彫刻などで活躍。 1640~50年代にはナボーナ広場の大噴水をはじめ多くのローマの公共記念物を制作。さらに教皇アレクサンデル7世のもとで,サン・ピエトロ大聖堂の広場と列柱群の建設に従事。盛期バロック美術を代表する最大の巨匠として,ヨーロッパ各地に大きな影響を与えた。
​ 出典 ブリタニカ国際大百科事典

◆ネプチューンの噴水(見取り図”8-b”) Fontana del Nettuno

 ネプチューンの噴水は、ナヴォーナ広場の北端にある噴水です。
 教皇グレゴリウス13世の後押しで、1574 年、広場の反対側にある”ムーア人の噴水”(南端)の設計者でもあるジャコモ・デッラ・ポルタによって に設計された。水盤(水鉢)は下部に白大理石を使用し、上部
には地元ピエトラサンタの石を使用した。その後300 年間、水盤のみで、彫刻は置かれなかった。

 今日存在する噴水はアントニオ・デッラ・ビッタAntonio della Bittaによる 「タコと戦うネプチューン」の彫刻が追加され、またグレゴリオ・ザッパラGregorio Zappalàによる神話上のテーマに基づいた「天使と海馬を伴うネレイス(海の精)」の彫刻が追加されている。これらの彫像は、広場の南側にある”ムーア人の噴水”と中央に ある”四大河の噴水”のバランスをとるために、1878 年に完成された。
​ 
出典:”Fountain of Neptune, Rome” Wikipedia

IMG_1502.jpg
ネプチューンの噴水(南側より)
IMG_1504.jpg
ネプチューンの噴水(西側より)
ネプチューン詳細.jpg
ネプチューン詳細b.jpg
アントニオ・デッラ・ビッタAntonio della Bitta
タコと戦うネプチューンNettuno lotta contro una piovra

ネプトゥヌスNettuno(伊)ネプチューンNeptune(英):[ローマ神話]海の神。[ギリシア神話]ポセイドン(海の神)に相当。
 出典:EX-word・ジーニアス英和辞典、EX-word・小学館 伊和辞典

アントニオ デッラ ビッタ Antonio Della Bitta。イタリアの彫刻家(1807年−1882年)
 出典:wikidata

ネプチューンの噴水⑧.jpg
ネプチューンの噴水④a.jpg
ネプチューンの噴水②.jpg
ネプチューンの噴水⑤a.jpg
ネプチューンの噴水③.jpg
ネプチューンの噴水⑥.jpg
ネプチューンの噴水⑦.jpg
ネプチューンの噴水①.jpg
グレゴリオ・ザッパラGregorio Zappalà
​”天使と海馬を伴うネレイス(海の精)Nereidi con putti e cavalli marini ”

 ネレイス《海の精;海の神ネレウスNereusの娘である50人の海の精のうちの1人》英Nereid伊nereide
 出典:EX-word・ジーニアス英和辞典&小学館、 伊和辞典

 グレゴリオ・ザッパラ Gregorio Zappalla( 1833年シラキュース- 1908年メッシーナ)はイタリアの彫刻家。若いときは、鋳物師の父親の仕事を継いだが、絵画、彫刻を手掛けはじめ、1860年(27歳)、メッシーナのペロリタナ大学で、デッサンおよび彫刻を学んだ。さらに、ローマで彫刻を学んだ。シラキュースの彫刻家ルチアーノ・カンピシLuciano Campisi( 1860 – 1933)の師匠であり、イタリア王冠のナイト爵位を授与されている。主な作品は、”ネプチューンの噴水の 8 つの群像”ナヴォーナ広場(ローマ)(1878年)と、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(ローマ)の聖ペテロ・聖パウロ像。ザッパラは1908 年にメッシーナを襲った地震で瓦礫の下敷きになって亡くなった。出典:Da Wikipedia,Gregorio Zappalàより

◆ナヴォーナ広場のカフェ

  ナヴォーナ広場はカフェが多いのですが、’15/1/2(金) 十時頃 テラスのカフェはあまりないのと日差しが差し込んでいた”Caffe Bernini"に入り、くつろぎました。

IMG_1516.jpg
カフェ・ベルニーニ Caffe Bernini(8-b近く)
IMG_1517.jpg
”ネプチューンの噴水”が見える席より​
IMG_1519.jpg
​パウンドケーキとカプチーノ
bottom of page