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ローマ美術紀行
ドリーア・パンフィ-リ・ランディ家
パンフィーリ・ドーリア・
ランディ家紋章
パンフィーリ家
パンフィーリ家はさかのぼること9世紀頃、グッビオGubbio(イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県)に誕生し、1461年フレデリック3世皇帝から神聖ローマ帝国伯爵の称号を得た。15世紀、教皇イノセント8世(1484–1492)の税務役人としてアントニオ・パンフィーリがローマにやって来た。
・1604年、ジローラモ・パンフィーリ枢機卿に任命
・1644年、教皇イノセント10世に選出
・1644年、カミッロ・パンフィーリ 枢機卿に任命
・1647年、Francesco Maidalchini 枢機卿に任命
・1650年、Camillo Astalli-Pamphili 枢機卿に任命
・1681年、ベネデット・パンフィーリ 枢機卿に任命 教皇、枢機卿など多数輩出。 ドーリア・パンフィリ-・ランディ家としても 数名の枢機卿を輩出している。
ランディ家
アルドブランディーニ家
アルドブランディーニ家は、フィレンツェ出身のイタリアの貴族で、現在はローマに居住している。 アルドブランディーニ家出身の本名イッポリト・アルドブランディーニが教皇クレメンス8世(在位,1592年-1605年)のとき、ローマに財産を築いた。彼はアルドブランディーニ家とパンフィリ家を結婚で結びつけ、さらにファルネーゼ家、ボルゲーゼ家などとも同様に結びつけた。
教皇クレメンス8世(本名イッポリト・アルドブランディーニ)
1536-1605
ランディ家はイタリア北部ピアチェンツァ出身の貴族。1551年から1582年まで、当時は教皇領であったヴァル・ディ・タロ(現在パルマ県)の君主でした。ランディ家、単独として最後、マリア・ポリセナ・ランディがランディ家を相続した。
マリア・ポリセナ・ランディ
パンフィーリ家
ドーリア家
セバスティアーノ・デル・ピオンボ画"アンドレア・ドーリア像"
ドーリア家とはイタリアの港町ジェノヴァの名門貴族。 ドーリア家は船も乗組員も含めて各国の王侯貴族たちに雇われて戦う集団、海の傭兵隊長の一族。中でも「地中海の鮫」と仇名されたアンドレア・ドーリアは海賊退治のために結成されたキリスト教連合艦隊の海軍総司令官、海賊との戦いに85歳まで第一線に立っていた。このイタリア海軍史上屈指の海将は、現在もイタリア海軍の巡洋艦の船腹に大きく「アンドレア・ドーリア」と記されている。
アントニオ
パンフィーリ
?-1485
ランディ家
ドーリア家
Pamphilio
Pamphili
1495-1563
?
ジロ-ラモ
パンフィ-リ
1545-1610
Camillo
Pamphili
1539-1601
Maria Flaminia Cancellieri del Bufalo
1466- 1560
アンドレア・ドーリア Andrea Doria
ジョバンニ・アンドレア・ドーリア2世Giovanni Andrea II Doria
マリア・ポリセナ
・ランディ
Maria
Polissena Landi
1608-1679
1607-1640
Pamphilio
Pamphili
オリンピア・マイダルキーニ
教皇インノケンティウス10世 (Giovanni Battista Pamphili)
1594 - 1657
1563-1639
1574-1655
在位:1644年 - 1655年
アルドブランディーニ家
1647年再婚
アンドレア・ドーリア・ランディ3世 Andrea III Doria Landi
Giovanni
Battista
Pamphili
1648 – 1709
Girolamo Pamphili
1678-1760
カミッロ パンフィーリCamillo Pamphili
1622 – 1666
オリンピア・アルドブランディーニ
Olimpia Aldobrandini
1623 – 1681
1760年 Girolamo Pamphili の死去に伴いパンフィーリ家の
ローマ分家の断絶
1628-1654
ドーリア家と
ランディ家の統合
パンフィーリ家とアルドブランディーニ家の統合
ベネデット・パンフィーリ Benedetto Pamphili
ジョバンニ・バティスタ・パンフィーリ・アルドブランディーニ
Giovanni Battista Pamphilj Aldobrandini
アンナ・パンフィーリ Anna Pamphilj
ジョバンニ・アンドレア・ドーリア・
ランディ3世 Giovanni Andrea III Doria Landi
1653-1730
1648 – 1709
1652–1728
1653-1737
ジョバンニ・アンドレア・ドーリア4世Giovanni Andrea IV Doria-Landi
1763年、ジョバンニ・アンドレア4世はドリーア・パンフィ-リ・ランディ家と命名した。
1705-1764
アンドレア4世ドーリア・
パンフィーリ・ランディ Andrea IV Doria-Pamphilj-Landi
1747-1820
1767年、アンドレア4世の結婚と共に、ジェノヴァからドリーア・パンフィーリ宮殿(ローマ)に移転した。
フランク・ポグソンFrank Pogson (元イギリス海軍フリゲート艦司令官)
オリエッタ・ドリーア・パンフィーリ・ランディ王女 Princess Orietta Doria Pamphili Landi
1922-2000
養子縁組
2000年にオリエッタが亡くなった後、血縁が途絶えた。その後、養子縁組した2人が資産を引き継ぎ、現在も同宮殿(美術館)に住んでいる。
ジョナサン・ポール・アンドリュー・ポグソン・ドリア・パンフィリJonathan Paul Andrew Pogson Doria Pamphilj
ジョナサン・ポール・アンドリュー・ポグソン・ドリア・パンフィリJonathan Paul Andrew Pogson Doria Pamphilj
1963-
1964-
この資産は 1,300億円相当と言われ、現在、財産をめぐる争いがある。
注:紋章、肖像画は、Wikipedia、パンフィーリ・ドーリア宮殿公式ホームページなどにより借用した。
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