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ローマ美術紀行
サンタ・ビビアーナ教会
Chiesa di Santa Bibiana 2014/12/31
ベルニーニの作品があると聞いたので、訪ねてみました。ベルニーニにしては裸体でなく残念でしたが、ベルニーニの技量の高さを感じた。しかし、この教会は明かりがついていましたが、観光客、信者、教会関係者など誰もいなかったため、寂しかった。 訪問’14/12/31
言い伝えでは、皇帝ユリアヌス(361-363)の迫害の際に殉教したビビアナの家族のために、363年、この家族の家にローマの婦人オリンピーナ(またはオリンピア)によって教会が建てられた。ビビアーナは母親のダフローサと妹のデメトリアと一緒に殉教し、父親のフラビアーノはアクアスタウリンに追放され、殉教したと言われている。出典:Chiesa di Santa Bibiana - Wikipedia
1624年に主祭壇の下から聖女ビビアーナと両親、妹の遺骸が発見され、教皇ウルバヌス8世は教会再建を決意、ベルニーニによって建て直された。これは建築家とし てのベルニーニ最初の作品。出典:ウエーブサイト Bernini@Romaより

「サンタ・ビビアーナ教会」・・撮り忘れていたので『Santa Bibiana - Wikipedia』より借用

祭壇

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ”聖ビビアーナの像”(1624-26)
Statua della santa di Gian Lorenzo Bernini (1624-26)
主祭壇上の彫刻「聖ビビアーナ」は、彼の宗教彫刻の大作でも,裸体ではなく着衣像を制作したことでも最初のもの。聖女ビビアーナは4世紀に、柱につながれ、鉛のついた笞で打たれて殉教したと伝えられる。そこで殉教を表わすシユロと柱がこの聖女の最も一般的な持物とされ、ベルニーニもこの像を制作するのにこれらを添えて構想している。この作品は1624年から26年にかけて制作されているので、《アポロとダネ》に仕上げののみをふるっていた時期と重なると思われる。出典:ウエーブサイト Bernini@Roma
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598年-1680年):イタリアの彫刻家,建築家,画家。ナポリ生まれ。彫刻家の父ピエトロ に師事し,父とともにローマに行き,枢機卿 S.ボルゲーゼのために『アポロンとダフネ』 (1622~25,ボルゲーゼ美術館) その他を制作。教皇ウルバヌス8世のもとで,バチカン宮殿の建築や彫刻などで活躍。 1640~50年代にはナボーナ広場の大噴水をはじめ多くのローマの公共記念物を制作。さらに教皇アレクサンデル7世のもとで,サン・ピエトロ大聖堂の広場と列柱群の建設に従事。盛期バロック美術を代表する最大の巨匠として,ヨーロッパ各地に大きな影響を与えた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典
ここにはベルニーニの彫刻しかないかと思っていたが、私好みの絵がありました。その当時、作者も、題名も分からなかった。この教会の編集で調べていたところ、ピエトロ・ダ・コルトーナの”聖ダフロジーア”とのこと。

ピエトロ・ダ・コルトーナ”聖ダフロジーア”
Santa Dafrosia / Pietro da Cortona
ピエトロ・ダ・コルトーナPietro da Cortonaは2人の天使から冠、殉教の印のシュロ(棕櫚,ヤシ科)、ユリを受け取るダフロジア(ダフロサ)を描いた。出典:ウエーブサイト”Pietro da Cortona: gli affreschi di Santa Bibiana - Artepiù”,Fabrizio Sciarretta
ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596年-1669年)は、1596年フィレンツェ近郊のコルトーナに石工の子として生まれた。フィレンツェの画家コモディに師事し、1613年、師とともにローマへ出て、以後主にローマで活動した。盛期バロックのイタリアの画家、建築家である。とりわけフレスコ画装飾、絵画の分野で数多くの作品を残している。教皇ウルバヌス8世の時代に、彼はベルニーニ、ボッロミーニと並んで、ローマにおける主要な建築家の一人であった。 代表作であるローマのバルベリーニ宮殿の巨大な天井画は、建築装飾、絵画、現実空間の区別がつかないようなイリュージョン(錯視)効果をもち、後世の美術家に多大な影響を与えた。出典:ピエトロ・ダ・コルトーナ - Wikipedia
