サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会

San Luigi dei Francesi                     2015/1/1

 フランチャージ教会にはカラヴァッジオの最高傑作と言われている「聖マタイの召命」があり、感動!

 サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(イタリア語: San Luigi dei Francesi)はローマにあるローマカトリックの小バシリカで名義教会であり、ナヴォーナ広場の近くにある。聖母マリア、聖ドニ、フランス王聖ルイ9世に捧げられている。枢機卿ジュリオ・デ・メディチ(後の教皇クレメンス7世)は1518年、ローマ在住フランス人の国民教会の建設を フランス人ジャンド・シュネヴィエールに委任し、建設が始まる。当初は八角形で計画されたが、後に現在のバジリカ様式になる。 1589年、ドメニコ フォンタナがフランチェージ教会を完成させた(ファサードつまり正面側はジャコモ デッラ ポルタが設計した)。
​ 出典:サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
- 日本版Wikipedia及びサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会  - 英語版Wikipedia

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サン・ルイジ・デイ・
フランチェージ教会

 バシリカ:ギリシア語で王の建物の意。ローマ時代に建てられた会堂をいう。建築は長方形の外壁で囲まれ,内側に列柱式回廊がある。キリスト教徒がこの様式を採用し,バシリカ教会堂を盛んに建てた。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
 
 名義教会:
枢機卿に割り当てられるローマ市内のカトリック教会(ローマ司教区の管轄内にある教会)、枢機卿と教皇、ローマの司教(管轄教区の1つを統轄する聖職)とのの関係を象徴する名誉の称号として機能している。 出典:
Titular church-Wikipedia

コンタレッリ礼拝堂 cappella Contarelli

1565年:フランスの枢機卿マチュー・コワントレルMatthieu Cointerel(イタリア語でコンタレッリContarelli)がサン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会内にアプス(後陣)の左側先頭の礼拝堂を購入した。このため、イタリア語のコンタレッリ礼拝堂と呼ばれている。彼の礼拝堂は彼の名前である聖人、聖マタイ(新約聖書の福音書に登場する人物)の生涯のシーンで飾られるように指定した。
 コワントレルの執行者ヴィルリオ・クレゼンツィ Virglio Cresenzi(モントリオ侯爵、聖教関係の機関の管理者 1540年 - 1592年)は当時ローマで主要な芸術家の一人であったジュゼッペ・チェーザリGiuseppe Cesariと、2面の側壁と天井にフレスコ画を描くという契約を結んだ。
1585年:枢機卿マチュー・コワントレル死去。

1592年:枢機卿マチュー・コワントレルの執行者ヴィルリオ・クレゼンツィ死去
1593年~:教会財産管理を任されていたフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿は、自身のお抱え画家であるカラヴァッジョと契約して、 チェーザリが壁画を描かない側壁の2面に油彩画で飾ることを提案した。
1599~1600年:カラヴァッジョ『聖マタイの殉教』と『聖マタイの召命』完成
1602年:カラヴァッジョ『聖マタイと天使』[『聖マタイの霊感(インスピレーション)』とも言う]完成
 出典:コンタレッリ礼拝堂 .ウィキペディア英語版

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    コンタレッリ礼拝堂 見取り図
1.ファサード(正面)・入口
2.身廊
3.聖ドニ礼拝堂
4.聖セシリア(聖チェチリア)礼拝堂
5.ジャンヌ・ド・ヴァロワ(フランス王ルイ12世の最初の王妃)礼拝堂
6.聖レミギウス礼拝堂
8.高祭壇

9.コンタレッリ礼拝堂 
10.聖母礼拝堂
11.聖王ルイ(ルイ9世)の礼拝堂
12.聖ニコラウス礼拝堂 

13.聖セバスティアヌス礼拝堂
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コンタレッリ礼拝堂 cappella Contarelli

 バロック絵画の先駆者カラヴァッジオが一躍ローマ画壇のちょうじとなった作品。
​左に”聖マタイの召命(1599年 - 1600年)”、右に”聖マタイの殉教(1599年 - 1600年頃)”、
中央に”聖マタイと天使(聖マタイの霊感)1602年頃”がある。

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ジュゼッペ・チェーザリ 「天井画(コンタレッリ礼拝堂)」1593年

  コワントレル(コンタレッリ)の執行者ヴィルリオ・クレゼンツィ は当時ローマで主要な芸術家の一人であったジュゼッペ・チェーザリGiuseppe Cesariと、2つの側壁とヴォールト式の天井にフレスコ画を描くという契約を結んだ。ジュゼッペ・チェーザリは1593年までにアーチ形天井を完成させたが、教皇の命令で多忙になり、側壁の2面は未着手だった。
出典:”コンタレッリ礼拝堂 ”-ウィキペディア英語版
 ヴィルリオ・クレゼンツィ :
Virglio Cresenzi、ローマの貴族、モントリオ侯爵、聖教機関の管理者 1540年 - 1592年)

 ジュゼッペ・チェーザリ(1568年– 1640年)はイタリアのマニエリスム画家で、イル・ジュゼッピーノとも呼ばれ、パトロンである教皇クレメンス8世(在位:1592年 - 1605年)によって「カヴァリエール・ディ・クリストつまりキリストの騎士」に任命されたため、カヴァリエール・ダルピーノとも呼ばれていました。彼はローマでクレメントとシクストゥス5世(在位:1585年 - 1590年)の両者に大いにひいきにされていた。ところで、チェーザリカラヴァッジョがローマに来たときに教わった工房の親方でした。 出典:Giuseppe Cesari - Wikipedia

【カラヴァッジョ「聖マタイの召命」 Martirio di san Matteo, Caravaggio, 1599-1600

 カラヴァッジオ「聖マタイの召命」を生で見て、感動しました。右手から実際に光が注ぎ込んでいる。絵画上も光が入り込み、窓ガラスが十字架を連想させ、映画とか演劇の1シーンのような人物の表情。素晴らしい!
 

 『聖マタイの召命』はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョによって1599年から1600年にかけて製作された絵画。カラヴァッジョにとっては公的な場でのデビュー作、且つ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた記念碑的作品である。本作品は『聖マタイの殉教』と対をなす作品になっている。公開された両作品は大評判となり、一目見ようと人々が教会に殺到した。
​ 本作は『マタイによる福音書』9章9節にあるイエスが収税所で働いていたマタイに声をかけ、マタイがイエスの呼びかけに応えていったというマタイの召命の記事をもとに描かれている。
​ 出典:”聖マタイの召命”ウィキペディア
​ 召命(しょうめい):キリスト教で、神の恵みによって神に呼び出されること。伝道者としての使命を与えられること。出典:デジタル大辞泉

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カラヴァッジョ 「聖マタイの召命」(1599年 - 1600年)
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カラヴァッジョ 「聖マタイの召命」

 当時、収税人は「罪人」と同じだったと知る必要がある。なぜそんなことになっていたかといえば、パレスチナを支配していたローマ帝国は、ユダヤ人自身に末端の収税をまかせ、人々が直接の増悪をローマではなく彼らに向けるよう、自由に采配させた。そのため収税人の多くが税金を着服したり、賄賂を取って脱税の手助けをするなど、やりたい放題、きわめて贅沢な暮らしを送っていた。彼らがユダヤ人から同胞とは見なされず、ローマの手先として憎まれたのは当然であろう。
​ 出典:カラヴァッジョ 「聖マタイの召命」 中野良子著「名画の謎”旧約・新約聖書篇”」P179

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カラヴァッジョ 「聖マタイの召命」詳細

 人差し指で自らを指差す髭の男が長らくマタイであると思われてきた。しかし、この男は自分ではなく、隣にいる若者を指しているように見えることなどから、画面左でうつむく若者こそがマタイではないかという意見が  1980年代から出始め、主にドイツで論争になった。イタリアではいまだに、真ん中の髭の男がマタイであるとする認識が一般的だが、私はあらゆる理由から左端のうつむく男こそがキリストに呼びかけられたマタイであると唱えている。 出典:宮下規久朗 『闇の美術史・カラヴァッジョの水脈』岩波書店、2016年   41頁

​カラヴァッジョのモデル使用について
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《女占い師》(1595年頃)ルーブル美術館『ウィキペディア』より借用
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「聖マタイの召命」部分図(1599-1600年)
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
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《リュート弾》(1600年頃)エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)
『ウィキペディア』より借用
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図5《マリオ・ミンニーティの肖像》 (Memorie de'pittori messinesi,a cura di C.Grosso Cacopardo,1821,p.82)

 1590年代の末から1600年頃には《女占い師》や《リュート弾き》,《聖マタイの召命》などにふっくらした美しいほおの少年が登場するが、このモデルはカラヴァッジョと一時同居していた画家マリオ・ミンニーティであることが、その肖像画(図5)から窺(うかが)える。
 出典:宮下規久朗 『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』名古屋大学出版社、2004年、P258,259

【カラヴァッジョ 「聖マタイの殉教」 Martirio di San Matteo , Caravaggio, 1599-1600

 カラバッジョの「聖マタイの召命」と対になる同じカラバッジョの「聖マタイの殉教」はスポットライトに映し出された筋肉マンの形相がすごい!
 この絵画は「聖マタイの
召命」と同じく、実際に窓から差し込む日の光と同じように降り注ぐ構図になっている。

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カラヴァッジョ 「聖マタイの殉教」(1599年 - 1600年)

 この絵画は、”マタイによる福音書”の著者であり、福音伝道者でもある聖マタイの殉教を描いている。言い伝えによれば、聖人は祭壇で洗礼式を行っている間にエチオピア王の命令で殺された。以前、王は自分の姪(めい)に淫欲を催し、マタイによって叱責されていた。姪はキリストの花嫁といわれる修道尼であったという。
  出典:
The Martyrdom of Saint Matthew (Caravaggio) - Wikipedia、など

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カラヴァッジョ 「聖マタイの殉教」

 これまでは中央の若者が、今しもマタイを刺し殺そうとしており、周りにいた洗礼式の参加者たちが慌てふためいてその場から離れようとするところと解釈されてきた。
 そうではない、と近年になって異論が出た。
 暗殺者はそそくさと逃げ去る後景左の四人で、彼らはすでにマタイの急所を刺し、仕事が終わったから教会を出ようとしている。半裸の若者は受洗者の一人で、殺し屋から剣を奪い、マタイを助け起こそうとしている。
 この説の最大の欠点、それはマタイを見下ろす若者を善人とみなした途端、絵の吸引力があっとという間に萎むことだ。絵は道徳を説いたり、善を讃えてはいない。はち巻きをきつく締め、長剣を握り、興奮で耳を紅潮させ、老人を乱暴に扱う半裸の若者からは、悪の魅力がさん然と放たれている。出典:中野良子著「名画の謎”対決篇”」、カラヴァッジョ 「聖マタイの殉教」 P14、P15
​ 私も中野京子さんの説に納得できる。

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  後景に振り向いた髭面の男は、カラヴァッシ”ョ自画像と推定されている
カラヴァッジョ 「聖マタイの殉教」部分図

【カラヴァッジョ 「聖マタイと天使」 San Matteo e l'angelo ,Caravaggio,1602

 コンタレッリ礼拝堂の正面の絵画、これもカラバッチョの作品。なんて贅沢な展示なのでしょう!

 コンタレッリ礼拝堂は1600年に2枚のカラヴァッジョの絵画(”聖マタイの召命”と”聖マタイの殉教”)と、フランドルの芸術家ジェイコブコバートによる聖人の像で祭壇が構成され、完成した。しかし、教会は彫像が気に入らず、代わりに祭壇の中心に聖マタイが天使の導きで福音書を制作するするところの絵画をカラヴァッジョに再び依頼した。カラヴァッジョは初め、天使のそばに聖人を配置し、無知な農民として描いた【”聖マタイと天使(Ver.1)”】。教会は不敬な聖人の表現を拒否した。カラヴァッジョは栄光を与える聖マタイとして、現在、礼拝堂に残っている聖マタイと天使Ver.2(聖マタイの霊感)に掛け替えた。 
  出典:
Saint Matthew and the Angel - Wikipedia

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カラヴァッジョ ”聖マタイと天使”(”聖マタイの霊感”) (1602年)
Caravaggio:San Matteo e l'angelo
Caravaggio:The Inspiration of Saint Matthew
聖マタイと天使.(天使)JPG.jpg

 この天使のモデルは《聖マタイの召命》のところで記載したモデルと同じ画家マリオ・ミンニーティのように思える。

カラヴァッジョ ”聖マタイと天使”あるいは”聖マタイの霊感”部分図

 カラヴァッジョ”聖マタイと天使 Ver.1”(1602年)は旧カイザーフリードリッヒ博物館(ボーデ博物館)のコレクションであったが、第二次世界大戦の終わりにベルリンの対空掩蔽壕に保管されていたときに火事で破壊された。しかし、下の白黒写真が現存しており、それを見る限りはなるほどみすぼらしいと思う。
  出典:
Saint Matthew and the Angel - Wikipedia,など

カラヴァッジョの”聖マタイと天使 Ver.1”.jpg
カラヴァッジョ ”聖マタイと天使 Ver.1” の白黒写真
Caravaggio:San Matteo e l'angelo
Caravaggio:Saint Matthew and the Angel
カラヴァッジョの”聖マタイと天使 Ver.1”.カラーバージョンjpg.jpg
カラヴァッジョ ”聖マタイと天使 Ver.1” の白黒写真の画像処理によるカラー化写真
Caravaggio:San Matteo e l'angelo
Caravaggio:Saint Matthew and the Angel

 マタイ(英: Matthew the Evangelist)は、新約聖書の福音書に登場する人物でイエス・キリストの十二使徒の1人。聖書によればイエスの弟子となる以前は収税人であった。《マタイによる福音書》の作者という説と別人という説がある。なお、イタリア語に由来する「マテオ」(伊: Matteo) という表記が用いられることがある。
   出典:主にウィキペディア

 カラバッジョCaravaggio】(1571-1610):イタリアの画家。本名ミケランジェロ・メリシ(アメリギ)
Michelangelo Merisi(Amerighi)
。初期バロック様式の創始者。ミラノ近くの町(ベルガモ近郊)カラバッジョの建築家の長男として生まれ,1584年から88年までミラノの画家ペテルツァーノSimone Peterzano(ティツィアーノの弟子)のもとで修業。1590年頃ローマに行き,リアリスティックな静物画,風俗画で名声を得た。1599年から1602年にかけて宗教画の最初の大作《マタイ伝》連作(”聖マタイの召命”と”聖マタイの殉教”)を描き、一躍脚光を浴びた。コントラストの強い明暗法と力強い写実描写は〈カラバッジェスキ〉と呼ばれる様式となり,イタリア絵画のみならず,アルプス以北の諸国にも広まり,バロック様式の国際的伝播の端緒となった。ルーベンス,レンブラント,ベラスケスらにも影響を与えている。ローマで名声を博したが,激しい性格のゆえに争いが絶えず,各地を放浪、1606年には人を刺殺し、1610年逃亡生活中に死去した。出典:平凡社世界大百科事典、百科事典マイペディア、他